ヒットしたかもしれないソ連のコンセプトカー(写真特集)

テック
エカテリーナ・シネリシチコワ
 近未来的なミニバン、スタイリッシュなバス、電気自動車。これらが全部、ソ連の街路を走っていたかもしれない。

「ポーニ」 

 VAZ-2702「ポーニ」はソ連が作り出そうとした電気自動車だが、大失敗に終わった。小さいにもかかわらず重いこの自動車の試作品ができたのは1979年で、仕上げは1986年まで続いた。

 残念ながら何一つ成果は出なかった。「ポーニ」はバッテリーのせいで重すぎた。鋼鉄をアルミニウムに替えて最大積載量を増やそうとしたり、着脱式のバッテリーを開発しようとしたりしたが、いずれも成功しなかった。最大積載量400キログラム、航続距離70キロメートルという記録が精一杯だった。

 

「ウクライナ1」

 実験的なバスが現れたのは、ユーリイ・ガガーリンが宇宙へ行った年だった。近未来的でスタイリッシュ、快適なバスは、映画『ガソリンスタンドの女王』(Королева бензоколонки)にも登場した。また、その驚くべきデザインに加え、油圧ハンドル、エアサスペンションなどの画期的な技術も詰め込まれていた。車室には36席の航空機仕様のシートもあった。 

 「ウクライナ」の次のモデルはもう宇宙的な外見を失ってしまったが、快適さは格段に向上していた。車内にはコーヒーメーカー、冷蔵庫、ガスコンロ、トイレ、テレビ、クロークなどなど、実にさまざまな物があった。「ウクライナ」は実質的に「車輪の付いた家」となったのだ。しかし、ソ連の自動車産業にこれほどの贅沢は無用だった。製品は量産されずに終わった。

 

「ザリャー」

 「ザリャー」はガラス強化プラスチックでできていたが、これが命取りになった。革新的なガラス強化プラスチックのシャーシは同時に粗削りかつ複雑であり、大量生産に向いていなかったのだ。「ザリャー」の第一号が登場したのは1966年で、諸説あるが1~4台しか作られず、いずれも展覧会で走っただけだったという。複雑な改良は割に合わないと判断され、結局量産には至らなかった。

 

「レカー」

 VAZ-2122「レカー」は水陸両用全地形対応車で、軍の主導で開発された。デザイン面ではソ連の有名な車「ニーヴァ」の完全なコピーだが、中身は多機能軍用車だった。「ニーヴァ」も「レカー」も並行して設計されていたが、軍用版は開発が10年間も停滞することになった。

 「レカー」は水上を走ったり、パラシュート降下したりでき、沈んだ時のための浮上ブイや暗視装置を持ち、兵器や負傷者を運ぶこともできた。しかし、試験をすべて終えた時点で、製造の中止が決まった。時は「ペレストロイカ」の最中で、開発中止は米ソの軍事ドクトリンの変更が原因だった。加えて、当時は自動車生産の面で数歩先を行っていた外国企業との交渉が行われており、開発に10年を要したソ連の車は、外国製品と比べて有望な投資対象には見えなくなっていた。早い話、ソ連国防省が「レカー」の製造に資金を出さなかったのだ。

 

VNIITE-PT 

 何とも発音しづらいコンセプト・タクシーは1964年に登場した。当初、この車は専ら「理想のタクシー」としてデザインされていた。ワンボックス型の車体は十分に近未来的だったが、驚きなのはその広さだった。

 全長はわずか4.2メートルだった(現在のBセグメントのハッチバックと変わらない)が、中は非常に広々としていた。後部座席(自動ドアを通って乗り降りする)には4人が座ることができ、大きな荷物と、ベビーカーを(折り畳まずに!)載せることもできた。

 プロジェクトは日の目を見なかった。自動車産業省が生産工場の変更を決めたためだ。工作機械にかつての規模を保つことができず、数多くの問題が生まれた。こうして、近未来的なタクシーはボツになった。

 

VAZ-X  

 7人乗りのミニバンのプロジェクトはあまり知られていない。全家庭に送る「2000年の車」というコンセプトで1986年に開発が始まった。計画では、車室を変形できることになっていた(どんな風にかは不明)。航空機のような車体を持ち、ライトはフロントガラスに隠されていた。噂では、ミハイル・ゴルバチョフの夫人がこの車に関心を持っていたそうだが、1990年代初め、もはや工場に実験的な車を作る余力は残っていなかった。