AK-47についての主な誤解

テック
イーゴリ・ロジン
 玉にも瑕がある。世界の主要な自動小銃の一つであるAK-47の神話を崩そう。

 1940年代末、銃器設計者のミハイル・カラシニコフが世界で最も有名な自動小銃AK-47を開発した。この銃はソ連軍の制式自動小銃となっただけでなく、ソ連という国家の象徴の一つとなった。

 現在世界には(公式なデータだけでも)一億丁以上のAKがある。その登場以来、この銃をめぐってさまざまな神話が生まれてきた。

 この記事では、数ある神話の一部を崩そう。

AKは一人の人物が作ったものである

 1940年代初め、欧米の銃器設計者らが新しいクラスの銃を開発した。フルオートで連射できるアサルトライフル(自動小銃)だ。新兵器は戦争の様相を一変させ、世界中の軍隊で標準的なライフルやカービンに取って代わった。

 ソ連で自動小銃の原型が誕生したのは1943年のことで、これは銃器開発者アレクセイ・スダーエフの手になるものだった。

 しかし、当時このライフルはまだ荒削りで、ソ連の制式自動小銃の座をめぐるコンテストで勝てなかった。1945年に大戦が終わると、ミハイル・カラシニコフがスダーエフのコンセプトに手を加えて発展させた。そして1947年、カラシニコフは満を持して自身の自動小銃を競争に出し、この銃はAK-47の名で歴史に刻まれることになった。

 だがこの自動小銃は(最初の形では)まだ理想には程遠かった。集弾率を高め、重量を減らし、製造を簡略化し、合金を改良し、欠陥品のできる割合を下げなければならなかった。

 続く12年間、ミハイル・カラシニコフはソ連の技師らとドイツのシュマイザー設計局の技師ら(第二次世界大戦後、ドイツ人技師の一部は、兵器会社を含め、ソ連の諸企業で働いていた)の共同チームとともにAK-47の改良に努め、同銃を然るべき水準にまで高めた。

AKは唯一無二

 AKに似ていて、かつコピー品でない自動小銃は世界に存在するのだろうか。実は存在する。

 1950年代半ば、デンマーク軍司令部が北大西洋条約機構(NATO)の制式自動小銃として「デンマーク版AK-47」を推薦した。これはマドセンLAR(軽自動小銃)という銃だ。

 この銃はAK-47と同じく、バレル上部の穴に流れ込むガスの圧力を利用するガス圧作動方式を採用していた。しかも使用弾薬の口径はAK-47と同じ7.62×39mmだった。

 しかし、NATOの制式自動小銃の座は欧州製のライバル(ベルギー製のFN FALとドイツ製のH&K G3)に取られてしまった。

 現在マドセンLARの唯一の試作品がコペンハーゲンの王立武器博物館に展示されている。

AKは完全無欠である

 これは違う。AKは人間工学や集弾率の点で米国製やドイツ製の自動小銃に劣っている。

 ロシアの特殊部隊員が匿名でロシア・ビヨンドに語ったように、彼らの部隊の隊員は誰しも市街戦用に米国製のAR-15やM4、ドイツ製のH&K 416やH&K 417を持っている。

 しかも米国製やドイツ製の自動小銃は、コリメーター照準器やグリップ、ストック、フラッシュライトなど、作戦の遂行を円滑にするために取り付けるアクセサリーの数が遥かに多い。

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