2017年が終わりに近づくにつれて、我々が待ち望んでいた問への答えがようやく出てきた。今や我々は、過去12ヶ月間、ヤンデックスで最も検索回数の多かった言葉を明らかにできる。
具体的な事件ということで言えば、最も関心を集めたTOP3は、4月に起きたサンクトペテルブルク地下鉄爆破テロ、ゲーム「青い鯨」をめぐる騒動(「青い鯨」は、SNSなどを通じて参加者に自殺を唆す、一種の「自殺クラブ」)、そして、映画「マチルダ」のスキャンダル(ニコライ2世と、その皇太子時代の愛人バレリーナを描いて、騒動になった)。
グッズ、アイテムでいうと、ロシア人が検索してより多くを知ろうとしたのは、暗号通貨、ハンドスピナー、iPhone10であった。これら上位に続くのが、Samsung Galaxy S8、iPhone 8、アップデートされたNokia 3310、ヤンデックスの仮想アシスタント「Alisa」、ラップバトル、ブロックチェーンなど。
映画でいうと、外国映画でロシア人がとくに関心をもったのは、ホラー映画「IT/イット」、「怪盗グルーのミニオン大脱走」、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス」。
ロシアもまた、テレビドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』の世界的ヒットに巻き込まれた。その検索回数は、あらゆる連ドラ、テレビショーを上回る。これに続くのが、ウクライナのメロドラマ「Grechanka」とイギリス BBCの「SHERLOCK(シャーロック)」だった。
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こうした刺青を持つ者は「縫われた顔」と呼ばれ、18世紀の民俗学者ヤコブ・リンデナウとヨハン・ゲオルグ・グメリンの記録に残されている。
こうした模様を再現するべく、フォトプロジェクト「縫われた顔」を実施したのが、ウラン・ウデ在住の友人グループである。オリガ・ダシーエワ、オリガ・イメーエワ、ダリヤ・バハノワ、ルスラン・ワチェラノフ、エレーナ・ツィディノワの5人組は、エヴェンキ族文化の研究と保存を行っている。
オリガ・ダシーエワは語る:
「タトゥーはメイクアップ・アーティストに描いてもらいました。エヴェンキ族の刺青については聞いた事がある程度だったので、この特徴的な文化を実体化させてみたかったのです。最近では、若手ミュージシャンのULTAN KAI(マクシム・カラムジン)が私たちのプロジェクトに触発されて、刺青を施しました」。
刺青の模様は、トナカイの角、小道、タンバリン、偶像などである。各々の社会的ステータス(狩人、トナカイ飼い)を表すほか、悪霊除けの護符としての役割があった。
こうした特徴的なエヴェンキ族の模様は、現在では刺繍や骨彫刻に見られるのみで、刺青は行われていない。
研究者によると、このような伝統はヤクートやチュクチ、エスキモーなど、他の北方諸民族にも見られる特徴だという。
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日露両国で幅広く活動するKASAはロシアのアレクサンドラ・コヴァレヴァと日本の佐藤敬による建築家ユニット。
KASA / KOVALEVA AND SATO ARCHITECTS 提供ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展。1895年の第1回開催以来、連綿と続く国際的な美術の祭典のために、恒久パビリオンを現地に所有している国もある。ロシアもその1つで、ロシア館は1914年にアレクセイ・シューセフが設計した。その傑作建築を建造当初の姿に近い形で蘇らせるべく、改修設計を担当したのが、日露建築家ユニットのKASAだ。ロシア館は第17回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で特別表彰を受賞した。
日露両国で幅広く活動するKASAはロシアのアレクサンドラ・コヴァレヴァと日本の佐藤敬による建築家ユニット。2022年、2023年と小石川植物祭を企画して総合ディレクターを務め、好評を博した。
こうした成果も含め、KASAの2人の足跡と世界観を詩と絵、写真や建築模型で表現した初の個展「KASA展:ものさしとまなざし」が東京青山で開催されている。
展示されたキャンバスの裏に詩が綴られ、絵と併せて淡いながら包容力ある色彩に満ちた空間となっている。
同時に、否応なく自然に切り込まざるを得ない建築に対する逡巡を感じると同時に、それでもなお追及する建築の温かさを想像させる。会場に流れる小石川植物祭の映像からは、KASAの制作姿勢の原点も垣間見えるだろう。
建築家ユニットKASAの「KASA展:ものさし と まなざし」は東京都港区のPRISMIC GALLERYにて開催中。会期は2025年3月2日まで。
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プーシキン記念国立ロシア語大学は、ロシア語の学習法と教師養成の「一大拠点」だ。同大学は、外国人がロシア語を独習できるように、ポータルサイトにオンラインコースを開設した。世界中のどこからでも、また誰でも、しかも完全に無料で、ロシア語学習を始めたり、継続したりすることができる。
ロシア語を初級から上級レベルまで学ぶオンラインコースには、ヨーロッパの分類にしたがって、6つのトレーニング・モジュール(A1~C2)が含まれている。このコースの言語学習システムは、読む、書く、聞く、話す4種類の領域すべてを発達させる。その際に、発音も独習可能だ。開始と終了時には、テストが提供される。
このオンライン教材は、日常のコミュニケーションのためのロシア語の習得や、試験準備に最適だ。
高等学院のオンライン・ロシア語コースは、シンプルでわかりやすいインターフェースが特徴だ。このコースでは、A1~A2レベルの語彙と文法を簡潔に紹介しており、既存の知識を整理するのに役立つ。対象者は、すでにロシア語を勉強していて、文法の基礎を知っている人だ。説明などがロシア語以外でなされることはない。つまり、すべての資料は、ロシア語で説明され、イラストで補われている。
どちらのコースも、15のモジュールに分かれており、各モジュールは、1つのコミュニケーション・トピックを扱う(「家族」、「趣味」、「電話での会話」、「健康」など)。また、各コースの1つのモジュールには、動画レッスン(トピックに関する会話、文法と語彙の説明)、関連資料、まとめのテストが含まれている。
このコースの目的は、初級レベル(A1)のロシア語の音声、語彙、文法を習得すること。対象者は、外国人の入学希望者と学生、さらには、ロシア語を学びたい人すべてだ。
このコースは、5つのセクションからなる(「文字と音」、「知り合いになる」、「家族」、「街」など)。各セクションには、いくつかの動画レッスン、簡潔な説明、レッスンに出てきた語彙が含まれている。さらに、各セクションには、正しい答えを選択するインタラクティブな演習がある。各章の後では、シミュレーターで知識をテストし、スキルを高めることができる。
動画レッスンでは、すべての資料がロシア語で説明される。レッスンの語彙には、英語と中国語の訳が付いている。
(外国人のためのロシア語学習)。ロシア連邦政府付属金融大学・オープン教育大学。金融大学のオンラインプラットフォーム
このコースは、8つのレッスンに分かれている。各レッスンは、1つのコミュニケーション・トピックを扱う(「私の一日」、「私の趣味」など)。また、トレーニング・シミュレーターがあって、さまざまなテーマについて、一連のインタラクティブなタスクを行うことができる。1つのレッスンには、動画、辞書、短い会話、タスクが含まれている。すべての資料は、ロシア語で提供される。
外国人向けの無料オンライン・ロシア語コース。ロシア語での会話、読み書きのほか、労働許可を取得するための試験準備を始めることができる。
コースには、英語、中国語、ウズベク語、タジク語、トルコ語、ベトナム語のネイティブ向けに、6つのバージョンがある。
ロシア語を学びたい外国人のための入門コース。このコースには、中国語の字幕が付いており、すべての語彙は中国語と英語の訳が付いている。
このコースは、動画レッスンの形式で作られており、ロシア語のアルファベットと音声に慣れるのに適している。さらに、各モジュールは、初めてロシアを訪れた外国人が直面する典型的な状況を扱っている。たとえば、「知り合いになる」、「パスポートコントロール」、「タクシーに乗る」、「街」など。
各レッスンには、語彙、文法、地域研究の教材の動画が含まれている。さらに、レッスンには、語彙、文法、聴解の練習テスト、まとめのテスト、参考資料がある。このコースは、基本的なコミュニケーション・スキルを習得するのに役立つ。それは、ふだんの生活および社会的・文化的な領域で日々直面する状況において、必要となるものだ。
この資料は、プーシキン記念国立ロシア語大学の専門家のご協力で準備されました。
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同じ船で、2018年12月から2019年5月にかけて、彼はニュージーランドからチリのホーン岬まで旅し、154日間で6400海里(11525 km)を移動した。
4年後、旅行者はホーン岬からオーストラリアのアルバニーまで、西半球から東半球へ向かうことを決意した。彼は南大西洋と南インド洋の2つの海を横断しなければならなかった。
2024年11月、コニュホフのボートはアルゼンチンのウシュアイア港に到着し、12月5日の夜明けにドレーク海峡からオーストラリアに向けて出発した。一方、南大西洋では、73歳の誕生日を祝った。
危険で困難な旅が始まってから68日後の2月11日の夜、コニュホフのボートは南アフリカのアガラス岬を通過し、インド洋に入った。これは新記録だ!
航海の最終地点である西オーストラリアのルーウィン岬まで、4200海里の距離が残っている。
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これは、ソ連・ロシアのポップミュージックの女王、アーラ・プガチョワの最も有名な曲の1つだ。1983年の曲で、ソ連の詩人アンドレイ・ヴォズネセンスキーの歌詞による。その興味深いストーリーは、グルジア(ジョージア)の画家ニコ・ピロスマニに関する逸話を再現している。彼は、愛する女優のために、尋常でない、素晴らしい行為をしたという。
昔々、あるところに絵描きがいました。
家とキャンバスを持っていました。
でも、彼はある女優を愛していました。
彼女は花が好きでした。
Жил-был художник один,
Домик имел и холсты,
Но он актрису любил,
Ту, что любила цветы.
そこで、彼は家を売りました。
絵と家を売り払いました。
そして、有り金全部で買いました。
たくさんのたくさんの花を。
Он тогда продал свой дом,
Продал картины и кров
И на все деньги купил
Целое море цветов.
コーラスで繰り返す(2回)
百万、百万、百万の真っ赤なバラ
窓から、窓から、窓から見える。
本当の恋をしている人が。
あなたのために人生を花に変えたのです。
Миллион, миллион, миллион алых роз
Из окна, из окна, из окна видишь ты.
Кто влюблен, кто влюблен, кто влюблен и всерьез.
Свою жизнь для тебя превратит в цветы.
朝、あなたは窓のそばに立つでしょう。
あなたは、頭がおかしくなったのか?
夢が続いているかのように、あたり一面が花でした。
Утром ты встанешь у окна:
Может сошла ты с ума?
Как продолжение сна - площадь цветами полна.
魂が凍りつきました。
「どこのお金持ちのいたずらかしら?」
でも、窓の下に、息も絶え絶えに、
貧しい画家が立っているだけでした。
Похолодеет душа,
«Что за богач здесь чудит?»
А под окном, чуть дыша,
Бедный художник стоит.
コーラスで繰り返す(2回)
出会いは束の間でした。
夜、汽車が彼女を連れ去りました。
でも、彼女の人生には狂気のようなバラの歌がありました。
Встреча была коротка:
В ночь ее поезд увез,
Но в ее жизни была песня безумная роз.
画家は一生独り暮らしでした。
つらいことがたくさんありました。
でも、彼の人生は、あたり一面の花のようでした。
Прожил художник один,
Много он бед перенес,
Но в его жизни была целая площадь цветов.
コーラスで繰り返す(4回)
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この長編小説は、医師ユーリー・ジヴァゴの青年時代から死に至るまでの物語である。しかしこれは、一個人の軌跡ではなく、20世紀の激動の時期を背景にした壮大な物語だ。そして歴史そのものがここでは、完全に独り立ちした主人公となっている。読者は、帝政ロシアの生活、戦時の疎開、捕虜としての監禁、革命、内戦を如実に体験する。
不倫と三角関係というテーマが、背景の内戦と不可分に溶け合っている。内戦は、善と悪、白軍とボリシェヴィキ政権の間で揺れ動く人々の戦いと葛藤だ。
読者の前に、愛のジレンマが示される。いずれの側をとることも不可能に思える。妻に忠実なジヴァゴが、ララという女性に心を奪われてしまう。彼女は、ジヴァゴがまだ革命前に、たまたま見知った女性だった。ところが内戦時に、偶然のいたずらにより、二人は再会し、互いに引き寄せられることになる…。
この小説における恋愛は、そのかなりの部分が自伝的である。文学研究者たちによると、ララのモデルは、作家の最後の恋人、オリガ・イヴィンスカヤだ。
この作品は、パステルナークの畢生の大作であり、1945~1955年にかけて執筆された。しかし、ソ連の出版社はすべて、その原稿を拒否した。検閲官たちは、キリスト教のモチーフが強すぎること、そして、革命に対する作者の態度が複雑であることに気づいた。
パステルナークは、危険を冒して原稿を外国に送ることを決意。作品はすぐにイタリアで出版され、その後アメリカとイギリスでも刊行された。
1958年、作家は、「現代抒情詩における大きな功績と、ロシアの偉大な叙事的長編小説の伝統を継承したこと」により、ノーベル賞を授与された。しかし作家は、受賞を断念せざるを得なかった。ソ連では、この成功は喜ばれず、逆に大規模な迫害が始まった。衝撃を受けたパステルナークは重病に陥り、1960年に亡くなった。
パステルナークは、知的な家庭に生まれ、優れた教育を受け、ロシア詩の「銀の時代」に接し、象徴主義詩人の一員となった。『ドクトル・ジヴァゴ』以前には、彼は、詩人として、また詩の翻訳者として有名だった。シェイクスピアの戯曲、フランス語とドイツ語の詩などを見事に訳している。
主人公である医師ユーリー・ジヴァゴが書いた詩は、小説中の最も重要な部分となり、作者パステルナークはそれを、付録のように巻末に載せている。それらの詩は、医師の所持品の中から発見されたという設定だ。パステルナークの愛読者の多くは、この詩の部分が、散文による本文よりも重要だとさえ考えている。
2015年、CIA(米中央情報局)は、この小説の海外出版に関与していたことを示す資料を機密解除した。それによると、1957年、CIAは指令を出した。この書を可能な限り多く印刷し、さまざまな言語で配布することに注力するよう推奨する、というものだ。
1958年にブリュッセルで開催された万国博覧会や、1959年にウィーンで開かれた「世界青年学生祭典」の、ソ連からの参加者にこの本を無料配布する取り組みを始めたのもCIAだった。
「CIAの書籍プログラムにより、ソビエト圏の知識人の大半が、自由世界の価値観や文化に関する情報を入手できた」。機密資料の公開に際し、こうした説明が添えられていた。
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