TP-82=wikipedia
ソ連ではこの問題があまり取り上げられなかったが、ユーリ・ガガーリンの時代から、ソ連の宇宙飛行士は武器を持って宇宙に行っていた。緊急着陸の際に「野生動物や犯罪要素から身を守るため」、警察官も持っていた普通のマカロフ拳銃が宇宙飛行士に与えられていた。1965年、マカロフ拳銃を替える案が浮上した。この年、宇宙飛行士のアレクセイ・レオノフとパーヴェル・ベリャエフがタイガ(針葉樹密林)に緊急着陸したのだ。
場所の特殊性から、救助隊は2人のいるところまでなかなか到達できなかったため、2人は何日もタイガで生活することになった。
2人は避難所をつくった。するとある時、冬眠から目覚めたばかりの空腹で攻撃的なクマが2人に近づいてきた。空に向かって発砲するのがせいぜいだったが、人間と遭遇したことのないクマの好奇心をあおるだけであった。「マカロフ拳銃でできたことは威嚇射撃だけ」と、レオノフは当時について語っている。緊急着陸の際に生き延びることの可能な特別な武器をつくることを提案したのは、レオノフである。
「トゥーラ兵器工場」の設計主任ウラジーミル・パラモントフの指揮の下、リボルバー、自動装填式滑腔砲、三銃身ピストルの3つの方向性をもって開発がすすめられた。三銃身ピストルは、危険な獣や犯罪者から身を守り、狩りで食物を確保し、光の遭難信号を送るという課題の解決に最も適していた。新しいピストルTP-82には、狩猟用32口径の滑腔銃身が上部に2本、その下に5.45ミリメートルの施条銃身があった。
TP-82は1982年、初めて宇宙に持ち込まれた。ソ連・フランスの共同乗員団で、ソ連の宇宙飛行士が装備していた。
TP-82には変わった銃尾マチェテがあった。独立した状態では、薪を準備する普通のマチェテであったが、かたいカバーをかけてピストルに装着すると、銃になった。滑腔ではウサギ、鳥、小さな野獣を狩ることができ、施条ではヘラジカ、イノシシなどの大型動物を狩ることができた。
TP-82にはソ連らしい頑丈さがあった。「ピストルの中に砂を入れたり、水を注入したり、あらゆることをしたが、武器はすべてに耐えた」と、「宇宙飛行士訓練センター」極限条件下宇宙飛行士生存訓練部のニコライ・フィラトフ副部長は話す。フィラトフ副部長によると、カザフ共和国の遊牧民はTP-82について知ると、すぐに宇宙飛行士に物々交換を提案してきたという。羊の群れや、また自分の妻まで提案する遊牧民がいた。パイロット、地質学者、探検家、狩猟家などもTP-82をほしがった。しばらくすると、「ヴェプリ1」、「ヴェプリ2」といった類似品もつくられた。
1980年代末までTP-82は生産された。生産終了の公式の理由は、十分な量が生産されたため。非公式の理由は、財政問題で変わった武器の生産が工場に許可されなかったため。
ソ連崩壊後にTP-82がどうなったかはあまり知られていない。2007年にマスコミに伝えられた情報によれば、国際宇宙ステーション(ISS)第16次長期滞在のフライトエンジニア、ユーリ・マレンチェンコは、TP-82の使用期限が過ぎたことから、出発前にマカロフ拳銃を受け取ったという。
TP-82または類似品は宇宙の武器装備に入っているのだろうか。はっきりはわからないが、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙専門家ジェームズ・エーベルグは2008年2月、ISSからロシアの武器を撤去するよう要求している。エーベルグはこれを危険視し、ストレスと精神的緊張のかかる条件下で人々が仕事をする軌道にピストルはありえないと考えている。
ロシアの専門家は違う見解を示す。宇宙飛行士訓練センター宇宙飛行士特別訓練種局のユーリ・ギゼンコ局長は、船内の武器装備の必要性は実践飛行から確認され、証明されていると話す。TP-82を宇宙飛行士の武器装備から削除するのはまだ早いようだ。
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