バイコヌールの伝説

アントン・デニーソフ撮影/ロシア通信

アントン・デニーソフ撮影/ロシア通信

ソ連の有名な宇宙探索はすべて、地球上のある一地点から始まった。それはカザフスタン(当時はカザフ・ソビエト社会主義共和国)奥地にポツンとたたずむ、バイコヌール宇宙基地。世界初の人工衛星、月探査機、世界初の有人宇宙船が打ち上げられたこの場所は、新たな宇宙時代到来の福音であった。どの伝説にも作り話はつきものだが、バイコヌールにも虚実入り乱れた伝説が存在する。

豊かな土地

 カザフ語でバイコヌールとは「草本植物豊かな砂地」を意味する。アラル海から東方に広がる砂漠の名称だ。世界最初(かつ最大)の宇宙基地建設計画には異なる案があり、当時のダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国、マリ自治ソビエト社会主義共和国、アストラハン州も候補地として検討されていた。だが最終的に、カザフ・ソビエト社会主義共和国クズロルダ州の条件がもっとも適していると判断された。地上無線管制センター候補地周辺には障害物がなく、赤道に近く、晴天日も多い。

 この地域に暮らす遊牧民の間には、何世紀にも渡り、黒い牧夫についての伝説が存在していた。黒い牧夫は子牛の皮から巨大な投石具をつくり、地平線に敵があらわれると、これを使って燃えさかる石を空中に放ったという。石は敵に命中し、退散させることができた。石が落下した場所には何も生えず、動物も死に、焦げた土地が長い間残った…。

 この伝説の真偽のほどはともかくとして、現在も同じような光景を見ることができる。宇宙基地の巨大な”投石具”からは、”燃えさかる”ロケットが空中に放たれているからだ。

 

宇宙への秘密の道

 クズロルダ州の鉄道「チュラタム」駅に1955年1月12日、軍の建設部隊が到着した。バイコヌール宇宙基地の主要な建設要員を受け入れるための、準備を整える最初の作業グループである。

 このチュラタム駅からは支線が1キロメートル伸び、ステップの中でそのまま途切れていたが、セルゲイ・コロリョフ宇宙ロケット技術上級設計士はこの支線を見て、途切れている場所に発射台を設置することを決定。このようにしてバイコヌール宇宙基地の最初の発射台が登場したのである。この鉄道は現在でも、ロケット搬送用に使用されている。

 ユーリイ・ガガーリンとセルゲイ・コロリョフ、1961年4月12日=ロシア通信撮影

 宇宙基地には当初、この駅の名称がつけられていた。ただし建設が極秘に行われていたことから、正式書類に記載されていたのは別の名称である。さらに秘密保持のため、空っぽの施設と宇宙都市のある、偽宇宙基地まで近くに建設されていた。

 

スポーツ競技の代わりに宇宙へ出発

 秘密にされていたのは施設の名前だけでなく、建設計画そのもの。宇宙基地の建築資材はすべて、一般的な旅客車両でチュラタム駅まで運ばれた。作業員による積み下ろしは夜間に限られていたが、本人たちは何のための作業かを知らず、最後までスタジアム建設だと信じ切っていた。だが、なぜ人けのない僻地にそんなものをつくるのか、不思議に思っていた。

 建設についてはもうひとつの伝説がある。ガガーリン発射台(と後に呼ばれるようになった)の基盤の掘削が行われた時、深さ35メートルの場所で古代の焚き火床が発見された。考古学者は紀元前1~3万5000年のものと推定。コロリョフ上級設計士はこれを幸福の印と考え、こう言ったと伝えられている。「ここに以前生活があったのなら、我々にとって幸福な場所となる」。さらに焚き火の炭をマッチ箱の中にいれて、ずっとお守りとして持っていたという。

 

大型ロケットシステム「エネルギア」。運搬ロケットとソ連版スペースシャトル「ブラン」から成る。=アレクサンドル・モクレツォーフ撮影/ロシア通信

砂地に「ヤシの木」

 有人宇宙飛行の成功により、西側諸国の政府の視線は一斉にバイコヌール宇宙基地に向いた。シャルル・ド・ゴール大統領が1966年6月にソ連を訪れた時には、ソ連とフランスの宇宙平和開発・研究協力協定を調印。当時、各国の要人のために宇宙基地視察を用意することが決定され、視察には「ヤシの木」という暗号名がつけられていた。そしてド・ゴール大統領率いる代表団のために「ヤシの木1」を実施。ブレジネフ書記長自らが案内した。

 基地から45キロメートル離れたレーニンスク市は6月25日、1日だけ「星の街」に変貌。訪問前に街中がピカピカに磨かれ、新しいアスファルトの敷設から塀のペンキ塗り替えまでの大規模な修理が行われた。

 当日は代表団のために「R-16U(8K64U)」や「ボストーク2(8A92)」のデモ発射が行われ、ド・ゴール大統領と同行した息子は感動し、「すごい!すごい!」をくりかえしていたという。

 バイコヌール宇宙基地で実施された「ヤシの木」は4回。最後の「ヤシの木4」は1970年、フランスのジョルジュ・ポンピドゥー大統領のために実施された。「ヤシの木」はソ連でもっとも秘密めいたこの場所で、他にも実施されていたかもしれない。