日本語になったロシア語由来の言葉(後半)

露日コーナー
ナタリア・ススリナ
 カチューシャ、イクラ、ノルマ…。これらの言葉はすべて、かつてロシア語から日本語に借用されたものだ。いかにして日本語に入り、どんな新たな意味、ニュアンスをもつにいたったか、言葉の露日交流史の一コマをご紹介したい。

 基本的に、言葉の借用は、別々の言語を話す二つの民族が交流の歴史をもった場合に起こる。いくつかのロシア語が日本語に入ったのもその一例だ。歴史家で露日交流史に詳しい青山学院大学・国際政治経済学部ピョートル・ポダルコ教授に、その辺りの歴史的経緯を聞いた。

カチューシャ

 これは現代日本語で、女性が髪をとめるヘアバンドを意味する。

 日本でそれがカチューシャと呼ばれるにいたった経緯については諸説あるが、その一つは、女優の松井須磨子が、1914年(大正3年)に帝国劇場で、レフ・トルストイ原作の『復活』のヒロイン、カチューシャ・マースロワを演じたことと関係があるというものだ。

 「須磨子は、どうすればロシア女性が表現できるか、長い間、役作りであれこれ思い悩んでいた」とポダルコ教授は語る。

 結局、彼女は、ロシア伝統の頭飾り「ココシニク」に似たヘアバンドを用いることにした。ココシニクの“簡易版”になると思いついたわけだ。

 「背中に長いおさげ髪を垂らし、頭には“ココシニクもどき”を被る――これは当時としては斬新で目新しいものだった。次第に、カチューシャのこの舞台姿と女優須磨子の名演のおかげで、このヘアバンドが、『カチューシャ』として普通名詞化した」。ポダルコ教授はこう付け加える。

 一方、現代ロシア語では、カチューシャといえば、まず第一に、女性名「カーチャ(正式にはエカテリーナ)」の愛称であり、また、ソ連のロケット砲でもある。ソ連は、第二次世界大戦中に、世界に先駆けて自走式多連装ロケット砲を開発、使用したが、そのあだ名が「カチューシャ」だった(とくにBM-13を指す)。

イクラ

 日本語で「イクラ」というと、サケの魚卵を意味するが、実は、ロシア語では、あらゆる種類の魚の卵が「イクラ」と呼ばれる。また、何種類かの両生類、棘皮動物および軟体動物の雌が産む卵の塊も、やはりイクラだ(例えば、カエルの卵も)。さらに、野菜やキノコを細かく切り刻んだ料理も、イクラと呼ばれることがある(茄子、キノコのイクラなど)。

 ポダルコ教授によると、日本でのイクラの語源についてはいくつか説があるが、そのうちの一つによれば、開国後、明治時代にロシア語から借用されたという(『語源由来辞典』を参照)。

 「魚卵を意味する日本語は、サケの卵以外なら何でも、タラ(タラコ)でもニシン(数の子)でも、既に存在していた。ところがサケは、それまで日本人は大量には捕獲しなかったので、魚卵を指す言葉がなかった。それで『イクラ』が借用された」。ポダルコ教授はこう説明する。

ノルマとトーチカ

 ロシア語で「ノルマ」というと、規範、基準で、そこから標準労働量という意味も派生したのだが、日本では、この最後の意味になる。

 ポダルコ教授によると、ノルマをこの意味で日本語に持ち込んだのは、日本人抑留者たち。彼らは、第二次世界大戦後、ソ連で、木材の伐採、搬送や建設現場で強制労働させられた。

 一方、「トーチカ」が日本語に現れたのは、日ソ国境紛争の張鼓峰事件(ハサン湖事件)とノモンハン事件(1938~1939)のころだ。

 ロシア語のトーチカは、点、ポイントなどの意味で、ognevaya tochka(火点)という使い方もある。このトーチカは、陸上の戦闘で用いられる、ぶ厚いコンクリートで造られる円形の陣地で、攻撃側の射撃から自らを守りつつ、敵を射撃する。(コトバンクを参照)。

セイウチ

 セイウチの語源に関する説の一つは、ロシア語からの借用説だ(『語源由来辞典』を参照)。

 しかし面白いのは、ロシア語の「シヴチ」(сивуч)は、「トド」を意味し、日本語のようにセイウチの意味ではない。

 「長い鎖国のあいだ、日本人は、竜骨をもつ大型外洋船の建造を禁じられていた。それで、トドもセイウチも目にする機会がなかった。有名な大黒屋 光太夫のように、ロシアに漂着したごく少数の船頭、漁師をのぞけば」。ポダルコ教授はこう言う。

ボリショイ・サーカス

 ロシアでボリショイ(大きい)という形容詞が冠せられる劇場は、かのバレエ・オペラの殿堂「ボリショイ劇場」しかない。ボリショイ・サーカスなるものは存在しない。

 1957~1958年、第二次世界大戦後初めて、ソ連の劇場、劇団が外国で公演を行った。そのなかで最初に海外公演を実施したのが、ボリショイ劇場、サーカス団、モスクワ芸術座だった。

 「これらの劇場、劇団はほぼ同時に海外で絶賛を博したので、バレエ団の『ボリショイ』が自然にサーカス団にもくっついた。こうしてボリショイ劇場は、サーカスにもこの“枕詞を贈る”ことになった。以来、日本にボリショイ・サーカスが来日し続けているという次第」。ポダルコ教授は説明した。

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