ピロシキの日本上陸は1950年代。1951年創業の渋谷のロシア料理店「ロゴスキー」でピロシキが提供されたのが始まり(なお、同店は移転したものの現在も営業中)。もっとも、ロゴスキーのピロシキは春雨入りの和風アレンジされたものだった。
1960~70年代には、パルナス製菓の販売したピロシキが人気を博した(「パルピロ」と呼ばれた)。こちらのピロシキはよりロシアのものに似ており、具は牛挽肉・ゆで卵・タマネギだった。
現在日本では、コンビニ、スーパー、ベーカリーなどでピロシキは定番商品の1つとなっている。たいてい、それは肉の具が入ったパンを油で揚げたものだ。
しかしロシアのピロシキは本来、肉は数多くある具の中の一種類に過ぎない。ピロシキは他にもキャベツ入り、卵と米入り、ジャガイモとキノコ入り、更にはリンゴやチェリーやジャム入りなどの甘いピロシキもある。ピロシキはどんな味も、お好み次第だ!
なお、ロシア料理におけるピロシキは、大きく分けて2種類ある。油で揚げたものと、オーブンで焼き上げたものだ。実は後者の方が一般的である。
日本語における「インテリ」は、主に科学や文化などの専門的な職に就く、教養のある社会層を指す。語源はロシア語の「インテリゲンツィヤ(интеллигенция)」。
しかし、革命前のロシアで「インテリゲンツィヤ」と呼ばれていたのは、単に教養のある人ではなく、祖国の将来を憂い、その改革を志向し、政府の「後進性」を批判していた人達だった。
中沢臨川は著書『露西亞の女』(1917年)の中で、ロシアには社会の上層と農民層の間に「インテリゲンチャ」と呼ばれる中間層が存在すると記述している。日本ではロシア革命後の大正時代(1912~1926年)に、社会主義思想とともに「インテリゲンチャ」という用語が広まった。
ステップ、タイガ、ツンドラという3つの生態系の名称もまた、ロシア語から日本語になった用語である。
興味深いのは、文部省編輯局が1887年に出版したアーキバルト・ゲーキー著『地文学』(『藝氏地文學』、中学校 市販学校教科用書)の中ですでに「露西亞ノ『ステッペス』、シベリアノ『トウンドラー』」という記述があることだ。
もっとも、「ツンドラ」も「タイガ」も、元をたどればロシア語ではない。タイガはテュルク系言語から、ツンドラはフィン・ウゴル語派からロシア語に入って来たコトバだ。
なお、タイガとツンドラの違いについて詳しく知りたい方は、ロシア・ビヨンドの過去記事をおすすめしたい。
コンビナートという語は、日本語では大型の生産複合体、例えば石油コンビナートなどを指す用語である。
コンビナートの出現は革命後、ソ連の工業化の頃である。第一次5か年計画(1928~1932年)の生産性向上のために構想された。日本にこの工業生産システムが導入されたのは、戦後になってからだ。
特筆すべきは、日本語の「コンビナート」は1つの場所に全ての生産設備が集中していることを想定していることだ。しかしソ連の場合は、必ずしもそうではなかった。その好例が、ウラル地域の冶金工場群と、クズネツク炭田を統合したウラル・クズネツク・コンビナートだろう。両者の間の距離、実に2000km(!)である。
現在、ロシア語における「コンビナート」という語は、日本語のそれよりも広い用途で用いられている。冶金コンビナート、化学コンビナート、輸送コンビナート、家具コンビナート、乳業コンビナートなど、様々なコンビナートが存在する。
カンパという語は、ロシア語の「カンパニア(кампания)」に由来する。日本語では、政治的ないし社会的組織の資金の募金活動を意味する。一方、ロシア語の「カンパニア」の意味するところはより広く、「重要な社会的、政治的ないしその他の目的を実現するための複合的施策」のことであり、資金調達はそうした施策の内の1つに過ぎない。
カンパニアという語は社会主義思想とともに、原語通りの意味で日本語に流入したが、次第にその意味が狭まっていった。
なお、ロシア語の「カンパニア」は18世紀にポーランド語から入って来たもので、語源は平原を意味するラテン語の「campus」である。
『ポケットモンスター』シリーズに登場するポケモンのジラーチは、ロシア語の「願う(желать)」という語からきた命名である。このポケモンは1000年の間に7日間しか目覚めず、その期間中はあらゆる願いを叶えてくれると言われるのが、その名前の由来だ。
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