エリツィンは本当に勝利したのか

1996年大統領選挙の主な候補者、ボリス・エリツィンとゲンナジー・ジュガーノフ=

1996年大統領選挙の主な候補者、ボリス・エリツィンとゲンナジー・ジュガーノフ=

AP撮影
 選挙戦の序盤には勝ち目のないアウトサイダーと目されていた現職の大統領ボリス・エリツィン氏が大方の予想に反して勝利を収めた1996年のロシアの大統領選挙から、今月で20年となる。国内では、その選挙結果をめぐる議論が、今も続いている。

 1996年の初め、ロシアのエリート層は、もっぱら、半年後には誰が大統領の座を占めるかに、気を揉んでいた。1991年にソ連崩壊後の新生ロシアの国家元首となった改革者ボリス・エリツィン氏の人気は、極めて低かった。経済の低迷、国家制度の危機、チェチェンでの戦争、さらに、本人の深刻な健康状態が、影を落としていた。

 一方、エリツィン氏にとっての逆風は、主なライバルである共産党のゲンナジー・ジュガーノフ党首にとって追い風となった。1995年12月、ロシア連邦共産党は、議会選挙で勝利した。これを背景に、大統領サイドでは、大統領選挙を中止するか数年延期する必要があるとの声が上がった。しかし、エリツィン氏は、選挙へ出馬し、2回の投票で勝利を収めた。

 

選挙の公正さに対する疑念

 この20年、選挙結果の改竄を裏づける正式な証拠は現れていないが、あの状況においてエリツィン氏が正々堂々と勝利することは単にできなかったと考える向きは、少なくない。2012年、その勝利の公正さに対する疑念は、最も高いレベルで確認されたようだ。当時の大統領ドミトリー・メドベージェフ氏は、ロシアの政治家らとの会合で1996年の選挙のテーマを取り上げ、証言によれば、同氏は、あの選挙で勝利したのはエリツィン氏ではないと述べた。しかし、その後、クレムリンの消息筋は、その会合の参加者らの発言を否認した。

 エリツィン氏の勝利が公正なものでなかったことについては、多くの著名な政治家やロシアの社会活動家が、指摘している。たとえば、1996年にロシア連邦共産党のメンバーで国家会議(下院)議長であったゲンナジー・セレズニョフ氏は、そう考えている。また、ロシア・ジャーナリスト界の長老的存在で当時の有力紙「ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ(独立新聞)」の創始者で編集人であったヴィタリー・トレチヤコフ氏も、そうした見方をしており、「私の確信や私が知っているあれこれの事実からすると、ジュガーノフ氏は、第1回投票で勝利した。本人は、それを知っていたが、自身の勝利を宣言しようとしなかった」と本紙に語った。

 

門前払い…

 「ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ(独立新聞)」の元編集長ヴィタリー・トレチヤコフ氏は、ジュガーノフ氏には自身の勝利を口にできない理由があったとし、「当時、エリツィン氏の側近らは、こう明言していた。エリツィン氏は、権力を手放さない。ジュガーノフ氏が勝利者と宣言されれば、同氏の就任を阻むための手立てが講じられる。それが武力行使を伴うクーデターと呼ばれるものであることは、明らかである」と本紙に語った。

 当時エリツィン氏の選挙本部にいた政治学者のヴァレリー・ホミャコーフ氏は、ジュガーノフ氏の顔には、自身の勝利宣言後に起こりうることに対する恐怖の色が浮かんでいた、と述べる。同氏によれば、ジュガーノフ氏の選挙本部の知人らは、ジュガーノフ氏の心理状態をこう説明したという。「彼は、今日は勝っても、明日はどうなる? クレムリンへ行ったとしても、 “あっちへ行け!”と言われるのが落ち。彼は、自分が門前払いされることを危惧していた」

 

コミュニストが来たら、みんな銃殺される!

 選挙戦で、エリツィン陣営は、コミュニストは市場経済と民主的な政治システムという1990年代の成果を脅かすものであるというイメージを植え付けようとした。トレチヤコフ氏によれば、「コミュニストが来たら、みんな銃殺される!」というのが、エリツィン氏のメッセージであった。

 「ニェ・ダイ・ボーグ(真っ平ご免)!」という新聞が、大量に発行され、無料で配布された。同紙では、ソ連時代の負の側面が強調され、ジュガーノフ氏の勝利がもたらす悪夢が描かれていた。

 反共産主義のほかに、エリツィン氏の刷新されたイメージにも、期待が懸けられた。「彼は、元気で、活発で、血気盛んで、ダンスまで踊り、もはや、別人である」と。選挙戦は、まさにそうした方針に沿って組織され、政治学者で歴史学者のドミトリー・アンドレーエフ氏によれば、「近来の歴史には見られない比類なき政治テクノロジーの水準」で際立っていた。

 その結果、5月半ば以降、選挙戦に変化が訪れた。ボリス・エリツィン氏は、主なライバルに水をあけはじめ、第1回投票での勝利へと邁進していった。第2回投票では、現職の大統領への投票を呼びかけた人気者の将官アレクサンドル・レーベジ氏の票を取り込み、ジュガーノフ氏に対する優位を確実にした。

 

勝利の代償

 勝利の後、エリツィン氏は、心臓の手術を受けたものの、恢復には時間がかかった。一方、国内では、新興財閥(オリガルヒ)が、ますます影響力を強め、国の経済は、1998年の債務不履行(デフォルト)へ向かい、屈服しないチェチェンでは、分離独立派が、勢力を増し、1999年には北カフカスの別の地域であるダゲスタンへ侵攻し、これを受けて、ロシアでは、国の領土保全に関する問題が、厳しく提起された。

 こうしてみると、現在社会に存在しているその選挙に対する否定的な評価も、驚くに値しない。況して、多くの専門家が、ジュガーノフ氏が勝利していてもおそらくロシアはソ連時代へ逆戻りすることはなかった、と考えているとあれば、なおさらである。

 政治学者のアレクセイ・ズージン氏は、ロシア国民は当時「未来を選択した」と考えており、「険しい道が待っていることは、誰もが分っており、国民は、自分自身のためというより国の未来全体のために票を投じた」と述べる。一方、トレチヤコフ氏は、非効率的なエリツィン体制の存続のために国民によって支払われた莫大な社会的代償を念頭において、その未来が万人のために訪れたわけではない点を指摘している。