「在職年数にかかわらず、国のあらゆる最高指導者の仕事はその者の時間である。成功も失敗も含め、ロシア史の時代である。エリツィンの大統領センターだけでなく、以降のそれぞれの大統領のセンターで、その時間に関連するあらゆる問題の答えを見つけられるようにする必要がある。もちろん、そのためには、すべてが絶対的な真実でなければならない。いかなる脚色もない、その時間についてのドキュメンタリーの真実だけ」とナイナ・エリツィナ夫人は述べた。記念館は公文書化に成功した。大きな施設は、さまざまなできごとの年代記を示し、疑問をなげかけ、答える。
記念館は2008年に制定された連邦法にもとづいて創設され、ロシアの大統領の歴史的遺産を保存することを目的としている。また、この種の最初の博物館である。数年前にモスクワでユダヤ博物館を建設した、有名な博物館デザイナーのラルフ・アッペルバウム氏が展示を設計している。企画者リストにその名前があるということは、インタラクティブで、その時代に浸れる保証がなされているということである。広々としたロビーではすでに、ベンチに座る青銅のエリツィンが訪問者を出迎えており、わきに座ることをちゅうちょする人はあまりいない。
すでに英語の音声ガイドがあり、他にスペイン語、フランス語、ドイツ語の音声ガイドの準備も行われている。これにより、外国からの訪問客がロシア史を知ることができる。
記念館のためにアーチファクトを集めた公文書係は、重要なドキュメンタリー動画の多くが保存されていないという、深刻な問題に直面した。録画されたカセットは保存されずに、再使用されていた。記念館の一部のケースは、人々が当時の物品を共有しながら歴史について語れるよう、空になっている。
記念館は7つの空間「ロシア史の重要な7日間」にわかれている。それぞれに、20世紀末のロシアの発展段階が示されている。変化の予期、ソ連8月クーデター(1991年8月にゴルバチョフ大統領を退陣に追い込んだ一連のできごと)、不人気の措置、憲法の誕生、「投票せよ、さもなければ敗北」(エリツィンの2回目の選挙運動の有名なスローガン)、大統領マラソン、クレムリンとの別れ。「歴史のシンボルである、時の車輪から、空間は円を描いている。このような構造を提案したのは、ロシアの映画監督パーヴェル・ルンギン氏」と記念館の業務執行理事リュドミラ・テレニ氏は説明する。
タチアナ・アンドレエワ撮影
最初に、古代ルーシから現代までのロシア史の映像を見ることを提案する。映像は民主主義の発祥とその発展について説明している。次に、歴史への向き合い方やさまざまな歴史的事象に対する世の中の観点の変化について語る書類、写真、動画がある。ロシア史はエリツィン物語に変わる。未来の大統領がモスクワの役人時代に乗っていた、本物のトロリーバスが展示されているホールもある。内部ではモスクワでのエリツィンの仕事ぶりが映像で紹介されている。
一番感情的な場面となるのは、クーデター、チェチェン紛争、エリツィンの政権最後の日の3つのホール。最初のホールにはソ連のアパートの典型的な状況がつくられており、電話がなり、電話口の会話から、未来の政権の付属物である戦車がモスクワの通りを走っていることへの人々の反応がうかがえる。部屋の戸を開けると、当時のドラム缶、コンクリートブロック、格子からなる首都のバリケードがある。壁にはこのできごとの時系列の説明がある。
チェチェン紛争のホールには、弾痕を意味する凹部が壁面にある。見るとそこには、これらの悲劇の写真がある。
最後のホールは、クレムリンから丸ごと移送されたエリツィンの執務室になっている。大晦日、ここから国民に別れを告げた。窓には霜があり、窓からは外の景色が見える。イスにはエリツィンの上着がかけられており、デスクには紅茶の茶碗と、大統領令への署名を行ったペンがある。照明が消え、あの有名なスピーチを聴く。「私は疲れた。辞任する」。大統領は謝罪し、国民に幸福を祈る。ロシア人にとって最も記憶に残る演説を、初めて聞いたかのような気分になる。
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