25年目を迎える新生ロシア

ロイター通信

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ロシアは今年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国主権宣言を行った日から25周年を迎える。これはソ連崩壊後のロシア建国の端緒となった。専門家はこの四半世紀をふりかえりながら、新生ロシアは成立したものの、答えをこれから探さなければならない深刻な一連の問題は立ちはだかったまま、という結論に達している。

「最後のくぎ」

 「宣言自体は非常に矛盾した現象。これはソ連崩壊を決定づけ、一方でロシア連邦の領域を維持した」と話すのは、年鑑「発展と経済」の政治学者であるドミトリー・アンドレーエフ氏。ロシアの主権宣言は「ソ連の棺のふたを閉める最後のくぎ」になったという。しかしながら、他のシナリオなどもはやあり得なかったし、ソ連を維持するチャンスをすでに逃していたため、「最悪の選択肢の中で最良の選択」だった。

 経済研究所政治研究センターのボリス・シメリョフ・センター長によれば、「ソ連は歴史的な大ロシアでもあった」ため、「ロシア人はソ連崩壊を引き起こしながら、自国の一部を事実上放棄した」という。

 

不安定な国家

 専門家によると、ロシアはこの25年で、ガバナンスと市民社会の制度を確立し、経済システムを調整したが、国としての十分な安定性を得るにはいたらなかったという。これはロシアが今のところ、効果的かつ民主的な政治システムを構築できていないという事実によるところが大きいと、シメリョフ氏は考える。「ロシアの政権は柔軟だが独裁的。抑制と均衡のシステムは確立されておらず、議会は単なる“投票機”となりながら機能しておらず、安定した政党システムも生まれておらず、また汚職がひどい」

 国家戦略研究所のミハイル・レミゾフ所長は、ロシアでは今のところ、安定した共和制が確立されていないと話す。確立されていれば、「政権が代替集団と競争する中で公の交代をする」ところを見ているはずである。「公の競争による交代はロシアで事実上起きていない。継承メカニズムが機能している。非公式の大統領王朝だ」とレミゾフ所長。

 同時に、このようなシステムにも、政権の団結および危機への対処という観点から、利点はあるという。

 

エリツィン大統領の政権愛


タス通信

 

1990年6月12日の主権宣言

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国主権宣言は1990年6月12日、第1回人民代議員大会で採択された。文書には「新しくなったソ連で民主主義的法治国家を創設する決意」についての記載がある。宣言はロシア共和国における憲法と共和国法の支配を定め、ソ連からの自由離脱権を認めた。

 現代ロシアの強い政権の伝統は、ソ連崩壊後の最高指導者であるボリス・エリツィン大統領の時代に築かれたもの。今日、エリツィン時代をロシアの真の民主主義的実験の時代と呼ぶ人もいるものの、当時、エリツィン大統領は独裁主義だと強く批判されていた。同様の批判はエリツィン大統領の1993年の憲法にも向けられていた。憲法によると、ロシア政治において、大統領の機関は政府の他の機関を支配するのが当たり前ということになっている。

 

 アンドレーエフ氏によると、エリツィン大統領は自分の利益すなわち自分の政権のことしか考えない人物だったが、当時はこれがむしろ、ロシアに恩恵をもたらした。「誰も割りこめない圧倒的に強いエリツィン政権のけん引が、ロシア連邦の構造形成の利益と客観的に一致したというのは驚き。1990年代の大変な時代、他の誰もこの領域を維持できなかったであろう」とアンドレーエフ氏。

 

多民族国家の挑戦

 ロシアの脆弱な部分として、専門家は連邦化の民族領域の原則、すなわちロシア連邦に民族共和国が存在している点を指摘する。

 レミゾフ所長によると、この点でソ連の国家建設路線が続いているという。統一政治構造としての国をつくる代わりに、ロシア連邦では多民族国家をつくっている。「ロシア国内には、民族共和国が多いが、そのことは、ロシアを構成している構成主体(自治体)が自決権をもっていて、そこから様々な影響、結果が生じ得る、ということを意味する」とレミゾフ所長。

 

「新しい国という感覚がない」

 もう一つの矛盾した特徴はソ連の過去との関係。現代ロシアのイデオロギーが懐かしのソ連に頼りすぎているという意見もある。「サンクトペテルブルクの政治」基金のミハイル・ヴィノグラードフ理事長によると、ロシアは今の国をきまり悪く思っており、ソ連を継承することで強化しようとしているという。「これは深刻なリスク。ロシアはリューリク(古代ルーシの建国者)の歴史から数えながら、自国を新しい国だと感じなくなるから。一方で、自国を新しい国だと考える旧ソ連共和国は、良い傾向を示している」と、カザフスタンやアゼルバイジャンの成功例を指しながら、ヴィノグラードフ理事長はロシアNOWに話した。

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