ハバロフスク市役所は、1945年にソ連軍に捕虜としてとらえられた、中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が数ヶ月間暮らした家を、復元する計画を立てている。家が復元されれば、中国から多くの観光客が訪れるのではないかと期待している。
木造の家は、ハバロフスク郊外の使われていないピオネール・キャンプの領域に、老朽化した状態で残っている。
中国総領事館の要望受け
「中国総領事館から、溥儀の暮らしていた家を復元してほしいとの要望が、ハバロフスク市役所に行われた」とアレクサンドル・アレクサンドロフ国際関係副市長は話している。
溥儀とこの家に暮らしたのは、14人の将軍、閣僚、高官で、東京裁判のために陳述書を書いた。一行は1946年8月までハバロフスクに滞在し、その後中国に送還された。
溥儀は1906年2月7日北京生まれ。2歳にして第12代清朝皇帝に即位。いくつかのクーデターが起きた後の1924年、人民軍は18歳の溥儀からすべての位階を奪い、紫禁城からの退去を命じる。
1932年3月から1945年8月15日まで、溥儀は傀儡国家の満州国の元首となる(初めは執政、その後皇帝に即位)。その後、ソ連軍に捕虜としてとらえられた。溥儀は中国に帰国した後、撫順戦犯管理所に約10年収容され、その後恩赦で釈放されて北京に移り、植物園の庭師として働き、その後国立公文書館で働いた。58歳の時、中国共産党に入党。1967年に死去した。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。