ソ連・ロシアの誇り、SUV「ニーヴァ」

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 世界一有名なソ連車として日本でも知られるSUV(オフロード車)、「ニーヴァ」ことUAZ‐2121が、発表から40年を迎えた。
 ニーヴァは構想から実現まで実に7年を要した。1970年、ソ連首相アレクセイ・コスイギンが、UAZの工場に対し、ソ連初の農家向け小型SUVの開発を命じた。ニーヴァ第一号がコンベアーを降りたのは、やっと1977年4月5日になってのこと。その分、ソ連はもとより、世界を見ても並ぶものがない製品に仕上がった。アウディが永久全輪駆動モデルを発表するのはそれから3年を待たねばならない。
 ニーヴァはその試運転で、走破困難地の通行能力において、英国のSUV、ランドローバーやレンジローバーを凌いでみせた。それほどのマシーンが西側ですばやく人気を博したとしても、驚くにはあたらない。ドイツでは購入希望者多数につき予約が必要になったほどだ。それから今日にいたるまで、実に50万台以上もが外国に輸出された。ちなみに、アフトワズ(UAZの現名称)は2013年3月時点で、ラーダ4×4(ニーヴァの現名称)を200万台生産している。
 これを受け、フランスにおけるニーヴァの売り上げは6倍に急増し、年間2万4000台を記録した(なお、UAZの当時の出荷総台数が7万台だった)。
 比較的軽量であり、また突破力が高いのと引き換えに、ニーヴァには大きな難点があった。安全性の欠如である。ユーロNCAPの規則によるクラッシュテスト(時速64㎞で正面衝突)の結果は、16点満点中、0点だった。専門家の結論はこうだ。「ニーヴァの運転手は、時速64㎞で走行中、事故にあえば、100%負傷する」。具体的には「頭蓋骨および脳に深刻な損傷を負うリスクがあり」、衝突時の「大腿への負荷は大腿骨の強度を超える」とされた。
 40年の歴史を通じて、30あまりの型式が生産された。中には装甲集金車や、モスクワ・ツヴェトノイ大通りにあるサーカスのために作られた、クマ用無蓋車といったものも。しかし、一番ユニークなモデルといえば、やはり、40年前に特殊部隊および軍のために作られた、水陸両用車であろう。中程度の深さの川を横断できるという代物だ。もっとも、このモデル、テストはパスしたものの、製造にまでは至らなかった。そのプロトタイプはリャザンにある軍用車博物館で見られる。
 ニーヴァという名称は、UAZの設計士、ピョートル・プルソフとウラジーミル・ソロヴィヨフが、自分たちの子供の頭文字をつなげて作ったものだ。ナタリアのN、イリーナのI、ヴァジームのV、アンドレイのA。ウラジーミル・ソロヴィヨフはニーヴァの発表より早く、1975年に逝去している。一方のピョートル・プルソフも、「我が子」の40周年まであと3週間を残して死亡した。なお、1986年、日本のメーカー「スズキ」はプルソフに、自社工場のパンフレットをプレゼントしている。そこには「スズキ・ビターラの共同開発者へ」との献辞があった。また日本には、ニーヴァおよびUAZ-452(「ブハンカ」)愛好者のサークルもある。
 1998年4月、ニーヴァが北極を走破する。国際的なパラシュートイベントで空から北極海の岸辺に投げ落とされ、着氷、吊り紐を解かれるや走り出し、大地の極北に至った。また、1990年から2005年にかけて、ニーヴァは南極のロシア基地「ベリンスガウゼン」に勤務し、摂氏-54度という極寒のなか、貨物を運搬した。
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