ロマン・アブラモヴィチとチェルシーFC
「最初から私は、クラブがアブラモヴィチの下で発展することが分かっていた。なぜかって?彼は、自分の魂をそれに注ぎ込んだからだ」。チェルシーの元監督で、名将の誉れ高いジョゼ・モウリーニョは、アブラモヴィチについてこう語っている。
アブラモヴィチは、ロシアの新興財閥(オリガルヒ)で、他ならぬ彼が、ロシア人による外国のサッカークラブ買収の先駆けとなった。
アブラモヴィチがチェルシーのオーナーになったのは2003年。以来、19年間にわたり彼は、大きな愛情を注ぎ込んできた。
アブラモヴィチが経営に乗り出す前は、チェルシーはしばしば上位をしめてはいたものの、トロフィーには手が届かなかった。選手たちは、クラブにおけるシステムの欠如について不満を漏らし、そのありさまを「カオス」と呼んだ。
しかし、新しいオーナーによりすべてが変わった。彼は、クラブに適切なシステムを創り上げ、資金を惜しまぬ一方で、すべての取引を注意深く分析し、良いプレーヤーのためなら何でもする用意があった。その結果、チェルシーはめきめき力をつけ、最高のチームの1つになる。イングランドプレミアリーグで5回優勝、UEFAチャンピオンズリーグで2回優勝の成果を上げた。
2022年、アブラモヴィチは、クラブを売却することを発表した。ロシアとウクライナの対立によって起こり得る制裁で、クラブが損失を被らないようにするためだ。同時に彼は、クラブの15億ポンド(約227億円)の負債を免除した。
彼はまた、売却によるすべての収益をクラブの基金に寄付することを約束している。この基金は2010年から、慈善および社会的プロジェクトに携わってきた。
ドミトリー・ルイボロブレフとASモナコ
ドミトリー・ルイボロブレフは新興財閥で、ウラルカリ社の元所有者だ(現在、フォーブス誌によると、ロシアの富豪番付で27位を占めている)。彼は、チェルシーのオーナー、アブラモヴィチに触発されて、サッカーの世界の檜舞台に乗り出した。2011年に彼は、世界最大級のカリ生産者であるウラルカリ社の支配権を売却し、モンテカルロに拠点を移して、地元のクラブの主な所有者となる。
当時のASモナコは最悪の時期にあり、投資家を切実に必要としていた。そしてルイボロブレフは費用を惜しまなかった。選手の補強のために、彼は1億ユーロ(約125億円)以上を投資した(補強にこれ以上費やしたのは、カタール投資庁の子会社「QSI」が所有するパリ・サンジェルマンFCのみ)。そして1・5シーズン後には、モナコはフランスの強豪として復活。2016-17 シーズンには、フランスのチャンピオンとなる。
しかし、ルイボロブレフは、サッカークラブの運営は、ウラルカリのような巨大企業よりもっと難しいと自認する。
モナコを所有して何年か経つうちに、この新興財閥の、この方面での野心は、控え目になってきた。今では彼は、それに応じて控えめな目標を公言している。つまり、フランス選手権で入賞し、ヨーロッパの大会でも「それなりの」パフォーマンスを見せることだ。
「我々は、チェルシーでもレアル・マドリードでもない。毎年、タイトルとチャンピオンズリーグ決勝で戦うようなスーパークラブになることはない」。彼はこう認めている。
マクシム・ジョーミンとAFCボーンマス
AFCボーンマスは、イギリス海峡に面する、英国の同名の都市にあるが、2011年当時は非常な苦境に陥っており、プロサッカーチームとしての存続の危機にあった。しかしクラブは、金融と石油取引を手がけるロシアの実業家マクシム・ジョーミンによって、債務と債権者から救われた。彼は、家族とともに、ロシアからボーンマスに居を移していた。
ジョーミンは、危機に陥っていたクラブに融資し、しかも、それを返済させることはなかった。しかし、45万ポンド(約6800万円)を支払って、クラブの株式の50%の所有者になり、2年後には100%すべてを所有する。
ジョーミンの友人やパートナーは、このクラブを「把手のないスーツケース」と呼び、この買い物は高額だが役に立たない玩具だと決めつけた。
しかし、すべてが予想外の結果になった。ロシア人オーナーは、ボーンマスで革命を起こし、これは後に「ロシアの奇跡」と呼ばれた。ジョーミンは、3シーズンにわたって、クラブに2,500万ポンド(約37億8千万円)以上を費やし、野心的な課題に取り組める優秀な監督を見つけ、地元の有望な若手選手で補強し、選手の健康管理に注力する。
その結果、ボーンマスは、英国リーグ史上稀有の急成長を遂げる。リーグ3部からプレミアリーグ(1部)に昇格し、116年のクラブの歴史で最高の成果を上げた。それは2015年のことだ。
現在、ロシア人オーナーのクラブは、フットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部)でプレーしている。
ダヴィド・トラクトヴェンコとシドニーFC
オーストラリアのFCがロシアの銀行家ダヴィド・トラクトヴェンコの注目を引いたのは、彼の娘アリーナがオーストラリアの実業家スコット・バーロウと結婚した後だ。2006年にトラクトヴェンコは22%の株式を買い、2年後には90%に増やした。
トラクトヴェンコは、戦績がもう一つだったシドニーをどうすべきか確かに知っていたに違いない。要するに、かつては「アウトサイダー」だった、ロシアのFCゼニト・サンクトペテルブルクの場合と同じことだ。FCゼニトの元会長だった彼が、このチームをロシア最強に育て上げたのだから。
彼は実際にその成功を繰り返した。彼の下でシドニーFC は、初めてオーストラリアのチャンピオンになった。以後、優勝は5回を数える。
アントン・ジンガレヴィチとPFCボテフ・プロヴディフ
ロシアの億万長者ボリス・ジンガレヴィチの息子アントンは、何よりも英国のレディングFCの元オーナーとして知られている。彼はこのFCを2012年に2500万ポンド(約37億8千万円)で買ったが、FCへの関心はほとんどなく、2年後にタイの投資家グループに売却した。その値段はわずか1ポンド(約151円)!
新しいオーナーは、嘆かわしい状態のレディングFCとその多額の負債をすべて引き受けた。ジンガレヴィチの下では、このFCは英国プレミアリーグ(1部)にとどまることができず、その後1部に昇格できないままだった。
以来、いろいろな出来事があり、アントン・ジンガレヴィチは、25億ルーブル(約22億円)相当のローンの横領容疑で、ロシア連邦政府の指名手配リストに載った。しかし、捜査は2019年に打ち切られ、彼はロシアの富豪であり続ける。
ブルガリアの報道によると、2018年時点でジンガレヴィチ父子の資産はなお10億ドル(約1150億円)を超えており、彼らの企業は紙、パルプ、建設、エネルギーの分野で活動している。
また、アントンとそのパートナーは、世界中(主にアフリカと南アメリカ)の約2千人のサッカー選手に対する権利を有すると考えられている。
2年前、ジンガレヴィチが再び欧州のFCに注目しているとの情報が流れた。その結果、ブルガリアのPFCボテフ・プロヴディフに白羽の矢が立った。実業家はこのFCを2021年に買収している。