多くのロシアの都市にはソ連時代の陰気なパネルハウスが多く建てられている―住民たちに短期間で住居を供給しなければならなかったからである。
しかし、このような標準化された建築物の中でも、他のものとはまったく違う面白いデザインのものがある。
ロシア北方の都市スィクティフカルのある住宅地には、地元コミ族の民族装飾がつけられたパネルハウスがたくさんある。
ブリヤート共和国の首都ウラン–ウデには伝統的なマークだけでなく、ソ連の鎌と槌で装飾された住宅がある。しかもこれは住民が勝手につけたのではなくて、建築家が考案したのである。
カリーニングラードにあるこの壮麗な建物は普通のパネルハウスであるが、最近、市当局はこのソ連の遺物を改修することにした。第2次世界大戦以前、カリーニングラードはプロシアの都市ケーニヒスベルクと呼ばれていたので、今回の改修はこの都市の長い歴史を思い起こさせるものとなる。
サレハルドは北極圏上に位置する唯一の都市である。この極北地方の天候は厳しく、地元の建物は明るい色に塗られている。サレハルドの典型的なソ連時代のパネルハウスは印象的な壁画で飾られ、砕氷船、キツネ、トナカイなどが描かれている。
トナカイやシロフクロウ―ノリリスクや隣町ドゥディンカ(ロシア北部)でも、北国であることをテーマとした壁画で飾られている。
この住宅地はビッグ・ウッド・マウンテン・スキーリゾート近くにある。周りの灰色の光景とは実に対照的である。
カルーガ(モスクワ近郊)の住民はこの建物について、その変わったデザインから「アコーディオン」と呼んでいる。このような建物はカムチャツカにはよく建てられた。この形は極東の半島において増加する地震活動に対して強かったである。しかし、どうしてこれがカルーガの中心部に現れたのは謎である。地元の歴史家が想像するには、建築家が画一的な建物に飽き足らず、変わったものを建てたかったのではないかという。
モスクワ南西部に1980年のオリンピックの波に乗って2つの円形パネルハウスが建設された。当初は、5つの建物(五輪にちなんで)を作る計画であったが、2つが完成した後にこの建築家の試みは中止された。防音性やメンテナンスの問題があり、実用的でない構造であることが分かったからだ。今では、「ベーグル」とあだ名されるこの建物は、それぞれ26カ所の入り口を持ち、1000戸以上の区画がある。
モスクワには柱の上に建てられたパネルハウスがいくつかある。このロシアの首都には地震、洪水、永久凍土などは存在しないかのようだが、ではどうして建築家はこのような建物を設計したのであろうか?ベゴヴァヤ通りには、このような建物が、1970年代に先のオリンピックを観戦しに来る人用のホテルとして建設された。しかし結局は航空産業に従事する人たちが居を構えた。そして建物はパイロットの家と呼ばれるようになった。
ロシアでは7都市に地下鉄が通っている。そしてそのいくつかの駅は住宅用建物に直結している。初めて住宅に地下鉄の入り口がついたのはモスクワでやがて他の都市にもあらわれた。ノヴォシビルスクには、住民が階段を下りるだけで地下鉄に乗れる現代的なパネルハウスがある。こんな最高のアイデアはない。
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