射撃の金メダリスト、ビタリナ・バツァラシキナ選手はロシアの「ウィッチャー」ファン

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ロシア・ビヨンド
 オリンピックを2回制したバツァラシキナ選手は子どもの頃、人形ごっこの代わりに、エアガンで鴨を撃っていたという。その数年後には、片手をポケットに突っ込んだまま射撃をし、メダルを獲得した。そして「ウィッチャー」のゲーム開発者らが彼女の勝利を祝っている。

 空港に数十人の人が集まっている。皆に取り囲まれているのは、グレーのスポーツウェアに身を包み、ユリの花束を手にした輝くように微笑む女性。彼女と群衆の前にステージが設置され、ロシア民謡合唱団が「ウィッチャー」のサウンドトラックの歌をうたう。

 202183日、オムスク(モスクワから2.2キロ)で、24歳のビタリナ・バツァラシキナ選手を皆が盛大に迎えた。新型コロナウイルスの感染拡大により2021年に延期されたオリンピック2020でバツァラシキナ選手は射撃で2つの金、1つの銀メダルを獲得した。

 今年、彼女は出場したすべての試合で、ポーランドの作家アンジェイ・サプコフスキーの小説と同名のゲーム「ウィッチャー」から来たネコの学校のロケットをつけていた。

 「このお守りのおかげでリラックスでき、気分転換できたと思います。これがもっとも重要なことです。ネコの学校を変えるつもりはありません。わたしはネコが大好きなんです」とバツァラシキナ選手はタス通信に対し語っている 

 このロケットに気づいた「ウィッチャー」のゲームを開発したCD Projekt Redはツイッターで公的にバツァラシキナ選手にお祝いのメッセージを送った。

 

狩りをしていた子供時代と最初の大会

 若き「ウィッチャー」の勝利と射撃への愛は幼い頃に始まった。

 ビタリナ・バツァラシキナ選手は1996101日、オムスク生まれ。父親はプロのキックボクサー、父方の祖父も母方の祖父も狩猟をした。バツァラシキナ選手は幼い頃から、近所の男の子たちと「戦争ごっこ」をしていたというが、最初の銃を手にしたのは6歳のときで、それからまもなく祖父と一緒に狩猟に出かけるようになった。

 「それは祖父の銃で12口径でした。そのときは銃と一緒に写真を撮ることしかできませんでした。祖父と一緒にボートに乗って狩りに行ったとき、祖父が銃を撃ち、わたしは耳を塞いでいました」とバツァラシキナ選手は回想する 

 その後、彼女は空手やバドミントンのクラブに通ったが、ビタリナにはこれらのスポーツが好きになれなかった。そして12歳のとき、両親は彼女を射撃クラブに通わせることにした。ナタリア・クドリナコーチによれば、バツァラシキナ選手はすぐに「活発でいたずら好きな」性格を表すようになったという。

 12歳の38日に両親が最初のエアガンを贈られたビタリナはガレージで、友人たちとともに、的を射るようになり、その後は祖父とともに鴨狩りに出かけるようになった。仕留めた鴨の数で祖父を上回ることもあったという。

 最初の団体戦でバツァラシキナ選手は銅メダルを獲得。

 最初の勝利についてバツァラシキナ選手は次のように語っている「コーチには、他の女子選手がどのように射撃しているのかよく観察して、自分もやってみるよう言われました。それからコーチは母親と共に客席に座り、『今に恥をかくことになるわ』と言ったのです。ナタリア・イワノヴナは真っ赤な顔をして座っていました。わたしは1度も失敗しませんでした。それからコーチはわたしのところにやってきて、「では、これからちゃんとした撃ち方を練習しましょう」といったのです。コーチによれば 、まさにそのとき、バツァラシキナ選手のスポーツへの情熱が目覚めたという。

 

初恋、「ウィッチャー」への関心、そしてリオオリンピック

 2014年、ヴィタリナ選手はヨーロッパジュニア選手権の10メートルエアピストルで銅メダルを獲得。同じ年、彼女はオレンブルグ出身のジュニアの選手、イワン・イリイヌィフと知り合った。イリイヌィフ選手はその1年後に引退したが、2人は今でも会っているという。

 2015年、バツァラシキナ選手はワールドカップジュニア大会で1位に輝き、ちょうどその時期に「ウィッチャー」のゲームに夢中になり始めた。

 「ゲーム機を買い、それからしばらくしてゲームを買いました。それがすごく気に入って。その頃に、本があることを知り、それを読むことにしました。ゲラルトは美男なのです。本の中には時折、それを疑わしく感じる場面があるのですが」とバツァラシキナ選手は語っている

 2016年、バツァラシキナ選手はリオデジャネイロ五輪に出場。大会前に女友達とゲームをした。友人はストーリーを追っていただけだという。 

 大会でバツァラシキナ選手は同じゲーム「ウィッチャー」の「狼の学校のウィッチャー」のマークをメガネに貼り付けた。そのとき、混合10メートルエアピストルで銀メダルを獲得。記念にネコの学校のメダルを贈られた。

 

 「緊張しましたが、見た目には出ていなかったと思います。頭の中にもよくない考えが浮かびましたが、なんとか追い払い、一発一発に集中しました。正直言えば、リオの時にはメダルを獲得したことをあまり理解していませんでした。何か複雑な気持ちでした。もちろん、4年後もまたオリンピック大会に出場したいと思います。 追い出されるまで、ずっと射撃をしていたいと思います」。最初のメダルについてバツァラシキナ選手はこう語っている

 

オリンピックの金メダルと結婚の予定 

 2018年にバツァラシキナ選手は世界選手権の混合エアピストルで金メダルに輝いた。 

 東京五輪では射撃女子25メートルピストルと10メートルエアピストルで金メダルを獲得。混合10メートルエアピストルでは銀メダルに輝いた。

 10メートルエアピストルのファイナルでは機材の故障が起きた。

 「全員、射撃を終えていましたが、わたしは撃たずに待機しました。27秒残っていましたので、基本的には落ち着いて銃をかまえ、撃つことができるはずでした。それがスタッフが『ストップ』の指示を出したのです。もちろん、わたしは違いますよと言いました。それでわたしの射撃にさらに50秒与えられることになりました。それがわたしを助けてくれたのかもしれません。少し肩の力を抜いて、普通以上に休むことができました」とバツァラシキナ選手は言う

 大会のあと、半年の休暇が与えられた。この期間を利用して、恋人と結婚する計画だと言う。しかしバツァラシキナ選手はもちろんもっと早く、トレーニングに戻るつもりだ。

 「2024年のパリ五輪のことを考えています。子どもが生まれているかもしれないねなんてジョークも言われますが、わたしは、もうすぐパリ五輪だし、なにも間に合わないわと言っています」