レイヴ、胡人を偲ぶ食事会、スターリンの演説・・・。モスクワの地下鉄で行われた一風変わったイベント

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ロシア・ビヨンド
 モスクワの地下鉄は開通してからの85年間、乗客を運んできただけでなく、ダンスフロアにも、ファッションショーのランウェイにも、図書館にも、そして産院にもなった。地下空間で起きたもっとも興味深い出来事を厳選してご紹介しよう。

1. 大祖国戦争時代は図書館、産院、ステージに   

 「ほぼ毎日来ています。この駅を通って家に帰るからではなく、ここで新聞や本を読むためです。ここでどうしても解決できない唯一の欠点は、運行する列車に勢いによる風と途切れることのない乗客の波です」。大祖国戦争が開戦した年のクールスカヤ駅について、設計技師のボグダノフさんはこのように書いている

 開戦までにモスクワ地下鉄の3つのラインが建設され、爆撃が行われた際、モスクワの人々は地下に避難した。想像しがたいことに、地下鉄は戦時中も毎日、運行されていた。日中は人々を運び、そして夜には避難所となったのである。

 駅にはトイレ、ウォータークーラー、ベッド、ベビーベッドが設置されていた。モスクワ市のサイトによれば、乳児を連れた女性や高齢者、障害者などは車両に寝泊まりしたという。

 いくつかの駅では、けが人と病人の治療、出産も行われた。また商店や理容室も設置されていた。子供のための技術の授業や裁縫や絵画教室が行われたほか、大人のためには映画の上映やコンサート、歴史に関する展示なども行われた。 

 ヨシフ・スターリンも地下鉄に姿を現した。1941年11月6日、スターリンはモスクワ市議会の会議が開かれていたマヤコフスカヤ駅で演説した。スターリンのために床にはカーペットが敷かれ、演台が設置され、レーニンの胸像の前の壁にスターリンの肖像画が架けられた。会議終了後にはパーティが催され、参加者には、車両の中でビールが注がれた。テーブルには乾パンやオープンサンドが並んだという。

*こちらの記事もご参照ください: 第二次世界大戦中のモスクワ地下鉄に何が起こったか(写真特集) 

2. クラースヌィエ・ヴォロータ駅で行われた雑誌「プチューチ」のプレゼンテーション   

 食べ物を乗せた使い捨てのコップやお皿が駅の手すりやエスカレーターに並び、その周りにパーカーや刺繍入りのTシャツとスーツを着た若者が立っている。 

 まさに流行りのレイヴを思わせる光景であるが、これは1994年にモスクワ地下鉄のクラースヌィエ・ヴォロータ駅で行われたファッション誌「プチューチ」のプレゼンテーションである。雑誌はテクノ音楽やレイヴをテーマにした記事を扱うことが多かった。その中には、雑誌を刊行していたモスクワの同名のクラブの話題も含まれていた。表紙には両性具有のモデルや女装や男装を好む人、デザイナー、ミュージシャンなどが登場した。  

 「プチューチ」の記事を執筆していたライターの一人、マクシム・セメリャクさんは、雑誌について、「非常に過激な雑誌でした。(中略)子どものものとは思えないサイズの性器を持った少年が放尿している写真を掲載したり、 罵倒語を使うのも好みました。有名な罵倒語が大きく印刷されていたのもよく覚えています。表紙に使われている女性が、“麻薬はわたしの人生にかならず必要なものよ”と言ったりしていました」と評している

 「プチューチ」は2003年に1990年代の終焉とともに終了した。ジャーナリストのドミトリー・ミシェニン氏は、「雑誌はミレニウムまでに、きらびやかで若くはないもののとても美しい小鳥として、終わりを迎えるべきだった」と述べている。しかし、斬新な雑誌の記憶は、地下鉄の資料の中にいまも残っている。

3. クロポトキンスカヤ駅で上演されたイタリアオペラ

 モスクワの地下鉄は通常、夜中の1時まで運行されている。この時間までに人々は最終電車に間に合うよう、地下鉄に駆け込む。2016年5月14日の夜、クロポトキンスカヤ駅には大勢の人々が集まった。職員たちは地下鉄のホームに椅子を並べ、構内に小さなステージが作り、そこに170人の合唱団が立った。

 これは、モスクワ地下鉄の開通81年を記念して、功労職員たちを祝ったイベントである。駅に合唱団、ロシア大統領オーケストラ、指揮者、5人の声楽家が立ち、ピエトロ・マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」を演奏したのである。デンマーク王立歌劇場のプリマドンナ、ナタリヤ・レオンチエワもソロの一人として舞台に立った。

 レオンチエワさんは、「母は第二次世界大戦時、この駅に避難していたのです」と語っている

 2010年には、この駅でシンフォニーオーケストラのコンサートが開かれたが、2016年のオペラ上演は、地下鉄史上、最大の規模のものとなった。 

4. 車庫で行われたファッションショー

 地下鉄の車両には警察官が数人ずつ乗り込み、高価な毛皮のコートに身を包んだ幸運な乗客が座席に座り、走る列車の中でウェイトレスたちが来場者にシャンパンを配る。列車は到着し、外に出るとすぐに、椅子とランウォークが用意してあり、まるで「セックス・アンド・ザ・シティ」さながらに音楽が流れ、モデルが登場する。

 これは、1997年にモスクワ地下鉄ソコル駅近くにある車庫で行われたジバンシーのファッションショーである。デザイナーのアレキサンダー・マックイーン自らモスクワを訪れ、グム百貨店の中のジバンシーのブティックに足を運び、そこからファッションショーに向かった。新聞「コメルサント」の記者によれば、マックイーンはランウェイには上がらず、観客の反応を脇から見ていたとのこと。

 その次のファッションショーが行われたのは、2016年になってからである。 ドストエフスカヤ駅は、アレクサンドル・テレホフのファッションショーのために閉鎖された。このショーでは、ランウェイは作られず、モデルは、ホームにある大理石の滑らかな床の上を歩いた。

 2019年には、モスクワ・ファッション・ウィークのオープニングに合わせて、ロシアの複数のデザイナーによるファッションショーがデロヴォイ・ツェントル駅で開かれた。モデルたちはエスカレーターを降り、音楽の代わりに列車の車両の音をバックに歩いた。

5. 環状線で行われた故人を記念した食事

 腰から上が裸の女性が地下鉄の車両に座り、オリヴィエサラダのようなものをフォークで食べながら、カメラに向かってポーズを取る。前方にはご馳走とウォトカが並んだテーブル、周りには大勢の人。男性もいれば、女性もいる。誰も皆、車両の中で、杯を上げずに食べたり飲んだりしている。中には詩を読んでいる人もいれば、ギターを弾きながら歌っている人もいる。入ってくる人にも食べ物と飲み物が振る舞われている。警察官はいない。

 一人の男性が、「ありがとうございました。環状線を一周しました」というと、皆、テーブルはそのまま車両に残し、降車する準備をする。

 「テーブルは残しておくのですか?わたしはテーブルから離れません!」と若い女性が言う。しかし、机にしがみつく前に、ドアが閉まり、食べ物を乗せた列車はまた先に進んでいく。 

 これはただのパーティではなく、2007年8月24日から25日にかけて行われた前衛的な詩人ドミトリー・プリゴフの死後40日に合わせたアート集団「戦争」による故人を偲ぶ食事会である。

 アクショニストたちは地下鉄の環状線を一周した。プリゴフは生前、一風変わったパフォーマンスを演じたが、中でも最も記憶に残るものとされているのがメディアオペラ「ロシア」である。このオペラでプリゴフは猫に国名を発音させようとした。

 この記念イベントに参加したオレグ・ヴォロトニコフの言葉を引用し、ブログPlucerの作者は「イベントが始まる前に、何駅めで警察に捕まるかと言い合いました。しかし、環状線のすべての車両に監視カメラが付いていたにも関わらず、車両に警察官は一人も現れませんでした」と書いている

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