1.「青い灯」が初めて放映された後、番組には、憤慨した多くの視聴者から、大量の投書が寄せられた。その内容は「飲みながら歌うとは一体どういうことなのか?もしかしてウラズバエワは歌っていないのではないか?もしそうなら、彼女は一体どんな歌手なのか?!」というものであった。このような事態になったのは、ソ連の歌手、エリミラ・ウラズバエワが生放送で、口パクをしたからである。
ウラズバエワが歌う場面で、彼女はテーブルの方に歩いていき、座っていたゲストの1人が彼女のグラスにシャンパンを注いだのだが、彼女は一口飲んだ途端、むせて咳き込んだ。しかしこの間、歌は流れつづけたのである。このとき、ソ連の視聴者は初めて、口パクというものを知った。作曲家のレヴォン・オガネゾフ氏は当時を回想して、「あれは大事件でした」と語っている。
2.「青い灯」はもともと、ソ連初のトーク番組であった。もっとも放送開始当初は「テレビ・カフェ」というタイトルで、アーティストや一般市民が出演し、面白い話を披露したり、ちょっとした会話を楽しんだりするという番組であった。最初は本物のカフェでロケが行われていたが、のちにスタジオ内でお祝いのテーブルのセットが作られるようになっていった。
1960年代に始まったこの番組は毎週、週末に生放送されていたが、後に、新年と国際婦人デーに録画が放映されるようになった。
3.「青い灯」というタイトルは偶然生まれたものではない。1960年代初旬、アレクサンドロフスキー・ラジオ工場で次世代テレビ「レコルド」が生産されるようになった。白黒ではあったが、画面の横に青い光が付いていて、番組の製作チームはここから新たなタイトルを思いついたという。
4.「青い灯」の最初のゲストとして招かれたのは、世界初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンであった。
ガガーリンの新年の乾杯の挨拶を映した映像は今も保管されている。またガガーリンはショートドラマにも出演し、「青い灯」の国際婦人デー特番では司会進行の1人として登場した。
5.「青い灯」は2時間番組だったが、その準備は8月に開始され、数ヶ月が費やされた。夏の終わりに出演者たちは、披露する曲を発表し、番組の音楽編集部がこれを承認した。撮影は9月に始まったが、編集作業は、極東で新年が祝われる数時間前まで行われていたという。撮影に参加するのは簡単なことではなかった。たとえば、ユーモア小説の作家のコンクールがあったときには、1人の出場枠に20人の応募があった。
6. 番組で使われるアルコール飲料は本物で、ゲストには「ソビエツコエ・シャンパンスコエ」というシャンパンが振舞われたと、司会者のイーゴリ・キリロフは新聞「コムソモールカヤ・プラウダ」からのインタビューの中で語っている。キリロフいわく、1回の番組を作る間に、数箱分のシャンパンがなくなったという。
キリロフは回想する。「適量を知っているアーティストや作曲家ばかりではありませんでしたので、そういうゲストには、シードルのボトルにシャンパンのシールを貼っていました」。
しかし、ゲストはアルコールを自分で持参し、撮影の前に、こっそりコニャックを飲んでいた。1970年代になると、アルコールはレモネードや色付きの水に変わり、フルーツやデザートは紙で作られるようになった。
7. 番組史上もっとも印象的だったのがソ連の歌手ヨシフ・コブゾン。つけ髭を付け、ライフル銃を手に、チェ・ゲバラになりきって「キューバ、我が愛」を歌った。
8.「青い灯」は、フィギュアスケーターたちの演技を放映し、フィギュアスケートというスポーツを宣伝した。ときに、俳優で風刺家のアルカージー・ライキンなど、アーティストらがスケートをすることもあった。実質的に、これはソ連で初めて、テレビで有名人にアイスダンスをさせるという番組であった。
9. 1990年代、「青い灯」はまったく放映されなかった。番組が再び放映されるようになったのは1998年になってからである。ソ連時代、「青い灯」ではロシア語の歌しか歌われなかったが、新たな番組では、ソ連時代では考えられなかったABBAやArmy Of Loversのヒット曲「Sex Revolution」が歌われた。このときには一般視聴者は出演せず、有名人だけが出演していた。
10. 現在のロシアのテレビでは、同じような形式の新年番組がいくつかある。しかしそれらの番組は、ありきたりなジョークばかりで、作り物っぽく、若者が聴かないような古臭い楽曲しか演奏されないなどと批判されている。
大晦日のテレビの視聴率そのものも徐々に低下している。たとえば、2019年の大晦日に「第1チャンネル」を視聴した人の数は、2018年に比べて、55万6,000人(年間でマイナス8.69%)、「ロシア1」チャンネルは22万2,000人(年間でマイナス3.42%)、それぞれ減少した。
2018年、第1チャンネルの主要な深夜番組「レイト・ナイト・ショー」で司会を務めたイワン・ウルガントは、「青い灯」のパロディである「青いウルガント」を企画し、ロシアの若者たちに人気のアイドルたちを出演させた。ショーはソ連歌謡を現代風に皮肉ったもので、大きな人気を博した。そこで2019年にも、第2回「青いウルガント」が催され、この映像はYouTubeで100万回以上、再生された。
2020年11月、歌手のワレリー・メラゼは、新型コロナウイルスの影響により、多くの歌手や演奏家がツアーやコンサートの中止を余儀なくされ、収入を失ったとして、この問題に目を向けるよう提言し、歌謡界の仲間に対し、「青い灯」の撮影に参加しないよう呼びかけた。
メラゼは、インスタグラムへの投稿で、「そうすれば、この業界で数千人の人々が何ヶ月にもわたって仕事を失っていることに気づいてもらえるかもしれない」と綴っている。
しかし、やはり今年も、新年番組「青い灯」は放映されることになっている。そしてアーティストもゲストもマスクをつけずに参加する。