ホテル「インツーリスト」のバー、1974年
Yu.Levyant/Sputnik高いアーチに大理石の列柱、塑像や彫刻で飾られた天井、ステンドグラスにエレガントな革製の椅子。サンクトペテルブルクにあるグランドホテル「ヨーロッパ」に作られた最初のソ連のバーの一つはそんな場所であった。
ソ連初のバーテンダーの1人、アレクサンドル・クドリャフツェフさんは当時を回想し、「ホテルには小さな休憩室があって、そこにグランドピアノが置いてありました。わたしたちはかつてのニコライ2世のハンティング・キャビネットから木彫りの施されたサイドボードを持ってきて、下の部分をバーカウンターにし、上の部分にボトルを並べていました」と話している。
「モスクワ」や「ベルリン」、「メトロポール」などの高級ホテルにあった同様のバーは、1965年に作られるようになった。社会主義を勝ち取った国を見ようという外国人のためであった。
グランドホテル「ヨーロッパ」のレストラン、1985年
Dmitriev/Sputnik「バーがオープンした日、スウェーデン人がきました。これがわたしにとっての最初のお客様だったのですが、彼は「ウォトカティーニ」をオーダーしました。当時、ヨーロッパではカクテルの名前を省略するのが一般的だったので、「ウォトカとマティーニ」とは言わずに、「ウォトカティーニ」と言ったのです」とクドリャフツェフさんは話す。「もちろん、マティーニは知っていました。しかしそのスウェーデン人はわたしが困惑しているのを見て、わたしは昔はドライマティーニが好きだったんだが、最近はウォトカを飲むようになったんですと言ったのです。それでわたしはすぐに彼がオーダーしたものは、ウォトカとマティーニを混ぜたものなのだと分かったのです。それで最初のチップを彼から受け取りました。初めてのドルでした。そのドルをわたしは壁に飾りました」。
ホテル「メトロポール」のレストランのためカクテルの材料
M.Anfinger/Sputnikバーは「外貨バー」と呼ばれるようになった。そこでは皆、外国の通貨で支払うようになったからだ。クドリャフツェフさんによれば、外国からの客には、バーでもKGBの職員がついていて、普通のバーテンダーはKGBの職員に協力しなければならなかった。
一般の市民はこうしたバーには入ることができなかった。外交官ですら、そのような店には行かないよう助言された。入店は警察によって厳しくチェックされた。しかし、バーには「偶然」、ソ連の売春婦がいて、クドリャフツェフさん曰く、外国人が彼女たちと出て行くことも少なくなかったという。「仕事」が終わると女性たちは警察に拘束され、注意を受けなければならなかった。
ホテル「インツーリスト」のバー、ロストフ・ナ・ドヌ、1973年
V.Kozlov/Sputnikホテルの従業員が外国人からこっそり輸入品を買うということもよくあったが、それはバーの外で行われるのが常であった。一方、外貨バーでは、盗難もあったと、ソ連の最初の旅行会社の一つである「インツーリスト」の社員は「コメルサント紙」にこう語っている。
「ロシア語を学びにきたドイツのインテリジェントスクールの学生たちがいたのですが、彼らは常に問題に巻き込まれていました。財布を盗まれたり、IDを盗まれたりしていました。最初の盗難はキエフの外貨バーで起きました」と匿名を条件に社員は話してくれた。
も っとも、彼女によれば、モスクワについたときに金は戻ってきたという。これは、当時、ソ連の警察がいかにきちんと仕事をしていたのかということを物語っている。
「カクテルホール」の広告
Archive photoソ連のインテリ層にとってもっとも重要だった場所といっても過言ではないのが、「カクテルホール」と呼ばれる場所である。1940年代にオープンした。内装は非常に荘厳で、螺旋階段、列柱、高価なシャンデリアなどで飾られていた。バーカウンターの向こうにいるのは女性バーテンダーだけで、ポンチやリキュール入りのコーヒー、カクテル、フルーツ入りのお酒などを作ってくれた。
出版社「芸術文学」のアレクサンドル・プジコフ編集長は、「高さのある、回転する丸いカウンターに座り、ストローでチェリーポンチを飲むと、フルーツジュースのような、度数の低い甘いワインのような味がして、しかしそのどちらよりもおいしかったのを覚えています。少しめまいがするような感じはするのですが、酔っ払うのとは違いました」と回想している。
カフェ「ショコラードニッツァ」、1968年
Vyacheslav Runov/Sputnikこうしたバーを訪れていたのは、外交官、作家、スチリャーギ(米国文化に憧れたオシャレな若者たち)、退役将校、前線兵士たちであったが、ここに来るのにはドレスコードがあり、必ずネクタイを締めなければならなかった。このバーに入ろうと、多くの人々がカラフルで滑稽なネクタイをつけたが、中には首に靴下にゴムをつけて巻いていた者もいたと新聞「ロシースカヤ・がゼータ」は書いている。
実際、「カクテルホール」はスパイや反体制派を尾行、追跡するために作られたものである。
ジャズ演奏家のアレクセイ・コズロフさんは、「スターリン時代のカクテルホールは、西側に関心を持つあらゆる人物を追跡し、別の場所で粛清するために存在していました。スターリンの死後、手入れが入るようになってからは、この原則も崩れ、誰もそこには行かなくなりました」と語っている。
レストラン「プラハ」
S.Zhabin/Sputnikモスクワ中心部のレストラン「プラハ」は本当に贅沢な場所であった。新聞「ヴェチェルニャヤ・モスクワ」がモスクワ研究者のイリヤ・クズネツォフの言葉を引用して伝えるところによれば、そこでは本物のチェコビールを飲むことができ、またもっと「強い」ものが好きな人々は、ウォトカ、コニャック、シャンパン、ポートワイン、ワインのセットをオーダーすることもできたという。
バー「リーラ」、1987年
Valentin Sobolev/TASSダンスをしたい人々はプーシキン広場のバー「リーラ」に行った。「リーラ」では生演奏が行われ、何種類ものポンチを飲むことができた。
ソ連の一般市民はリューモチナヤと呼ばれる強い酒とつまみが出される店で飲むことが多かった。このリューモチナヤはサンクトペテルブルグでは、大祖国戦争後にたくさんオープンした。
作家のワレリー・ポポフさんは当時を回想し、「マヤコフスカヤ通りとネクラソワ通りの角に、足のない障がい者たちが集まる恐ろしいリューモチナヤがありました。そこには、湿った羊毛のにおいと不幸、叫び声、ケンカが絶えませんでした。人々はこの障がいを持つ人たちや元将校、元兵士、元下士官らをわざと酔わせているようでした」と語っている。
ビアバー「ラジヤ」
Personal archive1970年代近くになり、ソ連ではビアバーが作られるようになった。ここでは誰もが飲めるようになったが、その主要な場所となったのが「ヤマ」(ソ連のビアバー「ラジヤ」のモスクワ店)であった。デザイナーのエゴール・ザイツェフによれば、「ヤマ」には犯罪者、詩人、音楽家、学生などが通っていたと証言している。このビアバーには椅子はなく、立ち飲みであったが、それでもバーの前にはいつも行列ができていたという。
ビアバー「ジグリー」も人気があった。ソ連のビール「ジグリョフスコエ」を売りにした店で、一緒に茹でたザリガニが出された。このバーはソ連の、そしてひいてはロシアの最高のビアバーとなった。2012年にはウラジーミル・プーチン大統領もここを訪れている。
ソ連全土にごく普通にビールが買える店もあった。多くの食料品と同じく、ビールにも長い行列ができた。新聞「ノーヴァヤ・シビーリ」のマルク・ゴトリブ副編集長は、横入りして前に並ぼうとする者を「ドゥシマン」と呼んだと述べている。
「ビール店の前に、数人がしゃがんで座り、3リットル瓶のビールを差し出していました。普通の人はその人たちの顔を見ないようにしていました。時間を節約し、神経をすり減らさないようにするには、まっすぐその人たちのところに行き、秘密の言葉をささやくのです。“ちょっと、ビール欲しいんだけど”と。彼らに代わりに買ってきてもらうには1ルーブル支払わなければなりませんでした(当時の物価で映画代10回分、パン5斤分に相当)。すると彼らはまるで砕氷船のごとく、スイスイと売り場に近づき、数分後には容器いっぱいに注がれたビールを手にすることができたのです。しかし、この商売も、行列についている人々の反撃を受けて、ケンカになることもしょっちゅうでした」とゴトリブさんは回想する。
ビアバー
Valeriy Usmanov神聖なる飲み物は3リットルのガラス瓶、あるいは10リットルの容器に注がれたが、ビニール袋に穴を開けておいて、そこから飲む者もいた。
ビールの自動販売機
Archive photoそしてその後ついに、いくつかのバーで、ビールの自動販売機が登場した。人々はこれを「アフトポイルキ」(自動給水器)と呼んだ。使い方は単純なもので、コインを買い、それを機械に入れ、レバーを引いて、ビールがグラスいっぱいになるまで待つというものだったのだが、これをタダで飲む方法を人々は知っていたとキーロフ市(モスクワから955キロ)の郷土史研究家、エヴゲーニー・ピャトゥニンさんは言う。
ピャトゥニンさんは、自著「ビールについて」の中で次のように書いている。「コインに穴を開けて、テグスを通し、それに石鹸を塗るのです。それを販売機の隙間に入れて上下させると、ビールはどんどん出てきました。カウンターからつまみを持った店員が出てきて、タダ飲みする客を追い出し、機械を取り上げるまで、それは続きました・・・」。
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