ソ連がスポーツ帝国だったことを証明する20枚の写真

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ロシア・ビヨンド
 ソビエト市民は健康でなければならなかった。長生きするため、工場でせっせと働くためだ。それはもちろん、将来の共産主義ユートピアを建設するため……である。

 新生ソビエト国家は、スポーツと体育をイデオロギーの要点の一つに確立した。「健全な精神は健全な肉体に宿る」とソビエト将校クリメント・ヴォロシロフはよく言ったものだった。ソビエト市民は子供の頃から体操をし、体育はあらゆる学校や大学で必修科目だった。学生らは「労働と防衛の準備ができている」ことを証明するため、特別な試験に合格せねばならなかった。

 幼稚園ではソビエトの子供たちに定期的にスポーツに取り組むことが教えられた。 

 どれほど早起きしようと、朝の体操は欠かさない! これはソビエト国家がポスターを通して盛んに宣伝したことだった。 

 スキーは学校で必修のウィンタースポーツの一つだった。

 アイススケートもまたソビエト市民のお気に入りだった。ロシア人がなぜスケート上手だったのか、知りたい人はこちらからどうぞ

 子供たちは競争心を育むべきとされ、サッカーやバスケットボールといった団体競技から、競走、体操、水泳まで、学校間でたくさんのさまざまな種目のトーナメントが行われた。先に触れたウィンタースポーツの大会もあった。 

 子供たちは学校の体育のプログラムでロープを登らなければならなかった。誰もがこの運動を好んだわけではなかった。

 ソビエト国家は体操競技に重きを置いた。学校の体育の授業では平行棒や鞍馬、鉄棒が教えられた。一方でプロの体操選手を育成する強豪校もあった。

 鉄棒はソ連軍兵士や一般の男性の間で広まっていた。ソビエトの施設の多くの中庭に鉄棒が設置された。 

 学校の生徒のアマチュア競技の一つに、複雑な形を一糸乱れず素早く作るというものがあった。

 体操はソビエト・アバンギャルド写真家にとって一種の芸術分野だった。

 毎年赤の広場で大きな体育パレードが開かれた。選手らが旗と横断幕を持って広場を行進し、ソビエトの指導部がレーニン廟から観覧した。 

 体育パレードは、参加者が自身の体で複雑な形を作ることでも知られた。演技は壮大で、準備には相当の努力を要した。すべてが完璧でなければならなかったからだ。

 要するに、このパレードは壮大だった。 

 ちなみにこれが最も人気のあった静止ポーズの一つだ。ソ連では「ベリョースカ」(「白樺」)と呼ばれていた。家で真似しないように!

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