信じてもらえないかもしれないが、ソ連の子どもたちは本当に冬でも外で午睡した。ソ連の幼稚園で一般的に行われていたもので、呼吸器疾患の予防であり、健康によい習慣であると考えられていた。
ユーリー・ガガーリンとワレンチナ・テレシコワは人類史上初めて宇宙へ飛び立った飛行士である。ただ1つ疑問がある。ガガーリンはなぜテレシコワの耳に手をやっているのか?
すでに亡くなった自国のリーダーのきわめて重い胸像を、おそらく永遠に誰の目にも触れることがないと分かっていながら、世界の果ての、地球でもっとも到達困難な場所の一つに運ぶ・・・。それがこれである。
1936年にソ連はなんのために9,000平米の絨毯を赤の広場に敷いたのか?それはスターリンがレーニン廟の演台から降りずにサッカーの試合を見たいと言ったからである。
かつて、学校では全員必須の授業として、ガス攻撃や核攻撃への対応、兵器の扱い方、手榴弾の投げ方などが指導されていた。幸い、ここで習得したことを実践で試す機会はなかったが、やはりその光景は恐ろしいものである。
ソ連後期の写真には奇妙な特徴に気がつくだろう。それは女性が高さのあるトルコ帽のような毛皮の帽子を被り、室内に入ってもそれを外さないということである。その理由はこのような帽子を持っていることは、現在でいうところの最新のiPhoneのように、とてもカッコいいことだったからだ。帽子を持っていることをアピールするためなら、勤務する8時間ずっと汗だくになることすら厭わなかったのである。
ソ連における男女平等は他でもないこのように解釈されていたのである。
ソ連のファッションは女性はどのような装いをするべきか、花柄の大きさはどのくらいでワンピースの丈はどのくらいかなどが正確に決まっていた。というのも、女性たちは皆、同じ雑誌の同じ型紙でワンピースを作ったからで、さらに生地の種類もそれほど選択肢がなかったのである。
上記のことは子どもにも当てはまることであった。子どもたちの場合、模様はチェック柄であった。
美容産業はすでに当時から驚異的な需要があったのである。
1986年にモスクワで開催された第1回目のグッドウィルゲームズ(オリンピックの似た国際スポーツ親善大会)では、人を使った巨大な彫刻を作ることになった。
ロシア人とクマに関する伝統的なステレオタイプが現実になったもの。
イーロン・マスク、こんなのはいかが?
絨毯への情熱は果てしない。ロシア人がなぜこんな風にするのかについては、こちらをどうぞ。
ソ連では、足りない太陽の光を補うために子どもたちをランプの下に並ばせた。こうして狭いブースの中で日光浴を行ったのである。
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