15歳の少年が列車を運転し、12歳の児童が切符をチェックし、10歳の少女が発車の合図を出す・・・。そしてこれはただのアトラクションではなく、まったく本物の鉄道である。ロシアにはこのような鉄道が25本もあり、それらすべてがロシア鉄道の路線に組み込まれている。
モスクワ子供鉄道の運行再開
Kirill Zykov/Moskva agencyここには、鉄道の仕事について学ぶため、5年生から11年生の子どもたちがやってくる。入場、体験は無料である。全コースを学ぶには5年かかる。10月から5月までは理論を学び、夏になると、もっとも興味深い部分である実習コースが行われる。
最初の2年間は車掌、発射係、転轍手としての仕事を習得する。3年目からは専門ごとの学業に移る。ルートの作成をしたいなら、助役になるための勉強、また機関車の操縦に興味があるなら、運転士になるための勉強をする。未来のシフト管理者のためにそれぞれのクラブもある。男の子も女の子もすべての職種に就くことができる。
ノヴォシビルスクの子供鉄道
Alexander Kryazhev/Sputnik実習のシフトは8時にスタートし、夕方4時か5時まで続く。これは大人と同様である。1日の始まりには朝の会議が行われ、シフトのリーダーが活動の計画を発表する。1回のシフトには最大70人が参加している。それを組織するのがいかに難しいのか想像できるだろうか。そしてこれも子どもたち自身がやるのである。
会議の後、それぞれのグループが作業の準備をする。機関車を点検し、列車を見回り、安全性を確認する。それから線路のチェックを行う。夏には多くの家族が若き鉄道員たちの列車に乗るため、ここにやってくる。ちなみにこうしたエクスカーションを体験した後、訪れた子どもたち自身も鉄道に魅了され、今度は鉄道を学びにここに再びやってくる。
子ども鉄道1930年代にソ連で考案された。公式的に最初に作られたのは1935年に敷設されたチフリス(ジョージア)の路線だとされているが、1933年1月9日付の新聞「ヴェチェルニャヤ・モスクワ(夕方のモスクワ)」にはゴーリキー公園にある路線に関する論評が残されている。
モスクワ最初の子供鉄道、ゴーリキー公園
ヴェチェルニャヤ・モスクワ何れにせよ、以降、ソ連全土、そして社会主義圏の東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ブルガリア、中国、キューバでも子ども鉄道が建設されるようになった。すべての鉄道は軌間が普通750ミリの狭軌となっており、これにより既存の機関車、列車を使用することができた。
ゴーリキー(現在ニジニ・ノヴゴロド市)の子供鉄道、最終駅「スチャスリーバヤ」(ロシア語で「幸せ」)、1940年
Anatoly Gagarin/Sputnik戦争が始まるまで、モスクワから極東の間に、このような鉄道が20以上敷設された。そのうちの一部は破壊されたが、1945年以降になり、建設は再開された。1980年代末には国内に52もの子ども用鉄道が完成した。
オレンブルク子供鉄道の運転手
Sputnikソ連邦崩壊後、ソ連の共和国、そして外国の鉄道の多くが閉鎖された。その理由の一つが、国家からの支援が中止されたことであった。ウクライナ、ベラルーシ、ハンガリー、ドイツ、スロヴァキアでは子ども鉄道は存続したが、アトラクションと化していた。またシベリアのクラスノヤルスク、モスクワ州のクラトヴォ、ウクライナのドニエプロペトロフスカヤには、初期に敷設された鉄道がまだ残っている。しかしロシアは唯一、新たな子ども鉄道を建設し続けた。
ユジノサハリンスクの子供鉄道、1969年
Galina Kmit/Sputnik現在、ロシアの子ども鉄道は総延長100キロを超える。しかもそのうちのいくつかは21世紀になってから敷設されたものだ。カザン、ケメロヴォ、ノヴォシビルスク、サンクトペテルブルクには新しい鉄道が作られている。もっとも長いのは沿海地方のスヴォボドネンスカヤにあるもので長さ11.6キロ、もっとも短いのはクルガンスカヤの1.065キロとなっている。
ノヴォシビルスク子供鉄道の運行再開
Alexander Kryazhev/Sputnikこの子ども鉄道では、毎年、およそ15,000人が学んでいる。そしてそのうちの半数以上がその後、専門大学に進学している。
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