アメリカHBOテレビのミニドラマシリーズ「チェルノブイリ」に対する一般のロシア市民の反応

HBO, 2019
 アメリカ発の新ドラマ「チェルノブイリ」を観た一般の視聴者たちは、「驚くべき詳細に描かれている」、「我々がこれを製作しなかったことは残念だ」という感想を抱いている。

 「まるで床を焼いていく放射性物質を含んだ溶岩のように画面から痛みが溢れ出す。わたしたちはアメリカ映画の中でロシア人が扱われていることを高慢に笑い飛ばし、わたしたち自身が気づかなくなっていることを彼らが見ていることを見逃してきた」。戯曲家のニーナ・ベレニツカヤさんはフェイスブックにこう書き込んだ。

 ベレニツカヤさんはさらに、このドラマはロシアの人々、ロシアのサイバー海賊の好奇心を正確に捉えたもので、ロシア人はたとえ不法であってもこれを必ず視聴するだろうと指摘している。しかしベレニツカヤさんにとってもっと興味深いのは、恵まれた国の恵まれた人がこのドラマを観て、何を考え、何を感じるかということだという。

 ニーナさんは回想する。チェルノブイリ原発事故が起きた1986年、彼女は4歳だった。「わたしたちは雨を“放射能の雨”と呼び、雫さえ浴びてはいけない。体を蝕ままれるからと言われていました。あと、キノコ狩りもダメだと言われていました」。

すべてがどのように起きたのかを細部まで目にした

 モスクワに住んでいた叔父のアンドレイはトゥーラの炭鉱夫で、事故があったときにはすでに年金生活をしていたため、事故現場には招集されなかった。放射能の雲はトゥーラまで広がったことから、親族には今でも手当が支払われている。「もちろん、わたしは事故のことを知っていましたが、チェルノブイリはわたしには何の感慨も引き起こしませんでした。しかしこのドラマシリーズの3つの番組を観てからというもの、わたしはよく眠れなくなり、悪夢にうなされるようになりました。登場したすべての人々、そして犬たちが可哀想でたまらなくなりました」。

 多くの人がこのようなドラマがロシア以外の国で撮影されたことを残念だと感じている。「事故が発生してから30年の間、旧ソ連圏でこのテーマを扱おうとした人もおらず、この出来事をスクリーンに描き出そうとしなかったのです。潜水艦K–9やソ連とアメリカの宇宙開発競争のこと同様、世界は我が国の歴史について、英米のテレビドラマから知ることになったのです」と編集者のイリヤさんはコメントする。

 もっともロシアでは2014年にドラマ「チェルノブイリ、立ち入り禁止区域」が製作されている。しかしこれは現代になって、事故現場に向かったティーンエイジャーを描いたミステリードラマで、事故についての描写は何もなかった。

 ドラマについてメディアが騒ぎ立てていることに不満を感じている人々もいる。マルーシャ・チュライはFacebookに目撃者の回想を読み、ドキュメンタリー映画を見て、3年前にはチェルノブイリを訪問したとして、「НВОの美しい映像は、単なる映像でしかありません。こんなハイプは止めてもらいたい」と書き込んでいる。一方、以前はこのテーマに関心がなく、これほどの情報を見たり聞いたりしなかった人々の多くはショックを受けている。

ソ連という国が非常によく描かれているのに驚いた

 「わたしの父はソヴィエト思想の人間で、軍のパイロットでした。父の本棚に“無神論者辞典”というものがあったのを覚えています。しかし年々、彼は体制が不公平で理想的でないことを理解するようになり、色々と批判するようになりました(もちろんだいたいはキッチンで)。よく覚えているのは、ラジオで初めて報じられた事故に関する情報はほとんど内容がなかったにも関わらず、父はすぐにその事故の深刻さを理解し、党と役人に憤怒していました。彼らが自分たちの手で多くの人々を破滅させたのだと。父は事故後の6月に亡くなりましたが、多くのことを予見していました。ですからこのドラマのなかで、わたしはソ連のキッチン、女性のサラファン、ヘアスタイルなど、そのすべてが非常に詳細に描写されているのを見て、気持ちが悪くなりました。まるでタイムマシンに乗って、その時代に連れていかれたような感じがしました」と言うのは経理のエレーナさん。

 マネージャーのニコライさんは「登場人物の顔もすべてスラヴ系で揃えられていました。炭鉱のグループ長だけはレッドネックに似ていましたが。それからウォトカに関する場面は明らかに行き過ぎです。我々はことあるごとにコップでウォトカを飲んだりはしません」とコメントしている。

 テレビのプロデューサーであるユーリー・ゴライドさんはこの問題について深く研究し、チェルノブイリに行って撮影も行った。だからこそ彼にはこのビジュアリゼーションの恐ろしさが2倍になったという。「非常に高いレベルで行われた具象化ですね」。

破滅的なソ連体制に恐怖を感じた

 この議論には政党「ヤブロコ」のグリゴーリー・ヤヴリンスキー党首も意見を寄せている。彼が言うには、当時、彼の友人や知人で、チェルノブイリ原発事故の災害処理に必要ななんらかの資格を持っていた者は全員、現場に送られたという。その大半がボランティアであった。「事故の災害処理を行うためにロシア中の数万人の人々が最高の団結力と自己犠牲を発揮したのです」。

 フェイスブックには、このドラマは事故だけでなく、ソ連という社会全体を描いたものだと書かれている。そしてヤヴリンスキー氏もこれに同意している。もっとも恐ろしいのは、危険であること(ときに死をもたらすほどの)ではなく、恐ろしい国家の嘘である。「言論の自由がなく、独立したメディアがなかったことから、事故から5日後の1986年5月1日に、チェルノブイリの放射能に汚染されたキエフやその他の都市で、数千人の市民が通りに出て、メーデーの祝賀デモに参加したのです」。言論の自由がなかったことについて、ヤヴリンスキー党首はこれこそがソ連の重大な問題の一つであり、崩壊の理由の一つだったと考えている。

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