30年後のチェルノブイリは

ロイター
 チェルノブイリ原子力発電所で大惨事が発生してから、30年になる。 原子力発電所の近くに所在し、かつては繁栄していたチェルノブイリとプリピャチの町は、現在ではゴーストタウンと化している。

 旅行前、私は立入禁止区域へのツアーを運営している旅行代理店を見つけなければならなかった。現行法では個人で手配する訪問は認められておらず、この区域への立入許可証が発行されるのは、「石棺」の建設に従事する作業員かこの区域の警備に従事する個人のみである。だが、関係者でも何でもない我々のような人間にとっては、前述のような政府によって認可された代理店を通して手配するのがこの区域に立ち入る唯一の手段である。

 インターネット上で必要な情報を収集している最中に、私は代理店に関する貴重な情報を発見した。個人ツアー (より高額なオプション) と標準ツアー (参加客数がより多い) のオプションが用意されている。その費用は60ユーロ(4月25日現在、1ユーロは約126円)から300ユーロとさまざまだ。

アントン・パピチ撮影アントン・パピチ撮影

 価格に影響するもう一つの要素は言語だ。英語かロシア語のいずれかの言語によるツアー案内を選択できる。私はロシア語に堪能なので、いうまでもなく安価な方、すなわちロシア語のオプションを選択した (英語でのツアーは約3割増になる)。

 予約するタイミングも重要だ。1ヶ月前に予約すると、25%の割安になる。ツアーの支払が済めば、あとは長い間抱いてきた夢が叶う日を待ち望むだけだ。とうとうプリピャチ、チェルノブイリ、そして周知の4号原子炉を含む立入禁止区域を目にすることができると思うと感慨深い。

 立入禁止区域内の危険度が高いわけではないが、それでも主に衣服に関する予防措置が推奨されている。最大の問題は、空気中に (特に夏の火災時)、または土壌中に汚染物質の粒子が存在するということである。そのため、私はこのツアーのためだけに、リサイクルショップで使い捨てにする衣服と靴一式を15ドル相当の費用で購入した。
私は出発の前夜、出発場所となるキエフ中央駅近くに到着した。当日は、空が灰色一色に包まれた、寒く雪が降る朝だった。天気は、まさに自分が思い描いていた通りだった。立入禁止区域はキエフの110キロ北西にあり、車で移動すると所要時間は約1時間半だ。私はとても疲れていたので、すぐに眠ってしまった。立入禁止区域に近づいてきた頃に私は目覚めた。雪に覆われた風景や冬の灰色の世界は、この旅を通してずっと変わることがなかった。
 

検問所前で

 ディテャトキ検問所に着くと、放射能警告の最初の徴候を目にすることができた。このチェックポイントを通過するのは、まるでベールを通って別世界に立ち入ろうとしているかのように感じられた。目前の直線の道路は薄い雪の層で覆われ、雪は冷たい風がその雪を散らしていた。その道路さえもが、雪に覆われた普通の道路とはほど遠い雰囲気を醸し出していた。それはまるで、別世界へとつながる道であるかのようだった。

 それを見つめている間、『ストーカー』という映画が心の中から離れなかった。ストルガツキー兄弟作の小説に刺激を受け、最も有名なソ連の監督の一人であるアンドレイ・タルコフスキーが監督した作品だ。それはチェルノブイリの大事故が発生する7年前に撮影された映画で、「ストーカー」と呼ばれる男が、想像しうる最も大がかりな夢 (すなわち意識と潜在意識のこと) が現実と化す「ゾーン (区域)」なる場所へ、2人の人たちを導くというシナリオだ。そこで彼らは幸福と人生の意味を探し求める。
 

立入禁止区域内

  「チェルノブイリ」と書かれた大きな標識に近づくにつれて、最初の建物が出現し始めた。これらの建物は町の面影を残しているが、この土地の広大さの感覚はなくなっていなかった。しかし、事実上居住者のいないこの小さな町に立ち入っていく間、この感情はより顕著になった。町中を通過中、その建築と外観を目にすることができた。これらの建物は一時期はしっかり管理されていたのだろうが、時間の経過とともに荒廃してきる様子が痛々しかった。中心部では、この惨事の追悼として建立された記念碑の「トランペットを吹く天使」に迎えられた。その背後には象徴的な墓場があり、墓石が原子力発電所事故後に消え去ったすべての場所の存在を物語っている。

 私たちは町の主な通りに入った。左手には開いた店が見えるが、棚にはあまり製品が並んでおらず、基本的な品や観光客向けの土産品を販売しているようだ。引き続き、将来の期待を担いだこの小さな町の面影の中を通過していくと、道路は再び森の中へと私たちを導いていった。平野に出ると、4号原子炉と、建設中の状態のまま5の号および6号原子炉、そして地平線上に突出する巨大な石棺が姿を現した。

 私たちが大惨事が発生した中心部に近づいていくにつれ、原子力発電所は大きくなっていくように感じられた。原子力発電所がある場所の真っ只中に、別の記念碑があることに私たちは気づいた。これは悲劇的に命を失った原子力発電所従業員を追悼するためのものだ。そのすぐ背後の、ちょうど反対側にあるのが4号原子炉と、建設中の巨大な石棺だ。

 

ゴーストタウン

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 最後に、我々はプリピャチに向かった。これはこの大惨事を語る際にそれほど多く言及されることのない町だが、実際には最も多くの苦痛を強いられた町である。この町の若年人口の大多数は、ほぼ一晩で姿を消した。この町は時間の流れが止まったままで、自然だけがその周辺で生息していた。

 町の入口には別の検問所があり、町全体がフェンスで囲まれている。一時期は美しくバランスよく建設されていた街路、広場、大通りや公園は、現在森に覆われている。背の高いトウヒの木の間に街灯柱を垣間見ることができるが、これらはほぼ完全に覆われてしまっている。私たちは町の中心部に到着した。ここでは建物の1つの中に入る機会が与えられている。私は建物には入らず道をさらに進み、主要な見どころの一つに接近した。当時、これはごく普通の建設物にすぎなかったのだが、現在ではチェルノブイリ大惨事の象徴的存在になっている。すなわち、プリピャチ観覧車だ。ほぼ30年間が経過した今でもそびえ立っているこの観覧車は、まるで予定されていた、そして決してやって来ることのない開園の時をずっと待ち続けているかのようであった。