コンクリートの板を芸術作品にして、アメリカに移住したモスクワの建築家

建築家のアレクサンドル・ブロツキー

建築家のアレクサンドル・ブロツキー

ユリア・アブザルジノワ撮影/アート公園ニコラ=レニヴェツ
 旧ソ連諸国の住民なら誰もが知っている塀。

 ロシア、そして旧ソ連諸国のどの街を訪れても必ず目にする、正方形がたくさん並んだ板チョコのような塀。オリヴィエ・サラダでもなく、微笑まない習慣でもなく、まさにこの塀こそが数百万の人々を一つにしているのである。この塀はどのようにして生まれたのだろうか?

ミニマリズムの美学

 この塀をデザインしたのはボリス・ラフマン。この塀は公式には「遮蔽板PO2」と呼ばれる。ラフマンは1970年代、モスクワ市建設資材会社で産業施設のためにこれを作った。塀は鉄筋コンクリートの枠にコンクリートのパネルがはめ込まれ、金網で補強されていた。

 「パネルは光と影の浮き彫りをつけたものとして設計したことで、塀が長い距離にわたって設置されても、それほどモノトーンにならずに済んだ」とラフマンは語っている。しかもラフマンは、この塀は住宅地には欠かせない強力な遮音性があったと指摘している

 この作品づくりに大きなインスピレーションを与えたのはドイツのバウハウスとイタリアのルネッサンス様式であろう。

塀からの解放

 1981年、ラフマンはアメリカに移住すると決めた。家族とともにニューヨークに移り住んだラフマンは建築会社Richard M. Bellamyに就職し、建物の修復、そして図書館や学校の設計に取り組んだ。今は絵画を中心に活動していると言う。

フェスティバル「アルフストヤーニエ2018」で展示されたアレクサンドル・ブロツキーとアントン・ティモフェエフの芸術作品「ヴィラPO–2」。

 本人はもうこの塀のことを思い出したくないと言うが、「ラフマンの塀」は今なおソ連時代のシンボルとされ、芸術家やデザイナーはこのイコノグラフィーに立ち返っている。たとえば、フェスティバル「アルフストヤーニエ2018」では、画家で建築家のアレクサンドル・ブロツキーがこの遮蔽板を使った芸術作品を作った。またプーマはこの塀の模様を靴の底の方にデザインしたスニーカーを発売している

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