1950年に誕生した情報総局(GRU)特殊部隊は、ロシア連邦軍参謀本部の「目と耳」である。
紋章に地球を背景にしたコウモリ(バットマンに見えなくもない)が描かれているのには理由がある。コウモリの如く、GRUスペツナズは世界中で夜闇に紛れて内密かつ隠密に活動しているのだ。
1968年8月21日にワルシャワ条約機構軍がチェコのプラハに侵攻し、プラハの春が終わりを告げる前夜、GRUスペツナズの隊員らは難なくプラハの主要な官庁の建物を制圧していた。
GRUスペツナズは、アンゴラ、ベイルート、ベトナム、アフガニスタン、コロンビアでも任務を遂行し、米軍基地から真新しいヘリコプター「AH-1コブラ」を盗み出したこともあった。
1972年のミュンヘン・オリンピックでパレスチナのテロリストがイスラエル選手らを襲撃して殺害した際、ソビエト指導部はソ連内で同様のことが決して起きないように対策を講じることを決めた。2年後、KGBの対テロリズム特殊部隊「アルファ部隊」が設置された。モスクワは1980年の夏季オリンピックの開催を控えており、アルファ部隊は安全保障の任務を託された。
アルファ部隊の最も有名な作戦に、1979年のアフガニスタンのタジベク宮殿の襲撃作戦(GRUスペツナズとの共同作戦)及びアフガニスタン大統領ハッフィーズッラー・アミーンの暗殺作戦がある。チェチェン紛争では、この特殊部隊はテロリストの手に落ちたブジョンノフスク病院を解放しようとしたが、作戦を妨害され、戦闘員らを取り逃がしてしまった。
2002年、FSBのアルファ部隊と、同じくFSBのヴィンペル部隊(1981年設立)が、テロリストに占領されたモスクワのドゥブロフカ劇場を急襲した。作戦の結果750人の人質が解放され、36人の戦闘員が殺害された。この作戦では、不幸にも、現場と病院で合わせて130人の人質が亡くなった。
GRUスペツナズの仲間たちとは違い、空挺軍特殊部隊は世界中で活動を展開しているわけではない。彼らの主な任務は、空挺軍の大規模な上陸に先んじて、敵の後方に足場を築いておくことだ。彼らは通常、空挺軍から2000キロメートル以内の範囲で活動する。
現在空挺軍特殊部隊は、第45独立親衛特殊任務旅団(2015年までは「連隊」)と呼ばれている。第一次チェチェン紛争のさい、連隊の兵士らはグロズヌイ攻撃に参加した。
チェチェンの戦闘員はスペツナズの「静かな」仕事ぶりに衝撃を受けた。彼らは次から次に建物を制圧し、彼らの後に自動車化歩兵が続いた。チェチェンの部隊は跡形もなく消えた。
ソ連初のフロッグマン(水中工作員)は、1941年のレニングラード包囲の際にレニングラードとバルチック艦隊とを防衛するために誕生した。この街で彼らは、ソビエトの戦艦、街の橋、通信基地、
現在対抗水中展開部隊・施設(PDSS)と呼ばれる海軍スペツナズは、各ロシア艦隊に設置された少数精鋭の部隊だ。
この部隊の任務は、海軍施設と艦船の安全を確保することだ。戦時には、PDSSは敵の領海で妨害工作を行う。
ロシアのスペツナズの中で最も若い特殊作戦軍(SOF)は、2009年に誕生した。ロシア連邦軍参謀に附属するこの機構は、ロシアのあらゆる特殊部隊から成る。
SOFの人員と作戦に関する情報は極秘扱いだ。だが、2014年のクリミアでの作戦のほか、シリアでの戦闘やソマリアの海賊との戦闘にSOFの隊員が投入されたことが知られている。
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