アメリカや多くのヨーロッパ諸国では国が定める祝日は11日あるが、ロシアは8日。この国の祝日が土曜日または日曜日と重なった場合は、平日に振替休日がある。ちなみにこうした祝日の前後はロシア行きの航空券が普通より高くなり、街には人で溢れかえっているということを覚えておいた方がいいだろう。
世界の半分の国々がカトリックのクリスマスを祝っている間も、ロシア人は12月30日まで懸命に働いている。しかし31日からは、単なる大きな祝日ではなく、大々的な“儀式”が始まる。
“儀式”に欠かせないのは、この日すべてのチャンネルで放映されるソ連映画「運命の皮肉」をバックに、特大のサラダボウルで作るオリヴィエサラダ。ロシア世論調査センターのデータによれば、ロシア人の96%が新年を祝う。
この日の後、国は1週間の休日を設けているため、ロシア人は大晦日の夜は二日酔いのことなど気にせず心置きなく遊ぶ。1月7日は多くの人が家族でロシア正教会のクリスマスを祝う。しかしソ連時代、長年にわたり宗教的な祝日が禁じられて来たことから、この日を祝わないという家庭も多い。
1922年以降、赤軍の日、後にはソ連軍の日として祝われてきた日。というのも、ソ連時代、男性は全員、従軍する義務があったことから、祝日は軍を祝うものから、単に男性を祝うものへと変わっていった。この日は幼稚園の男児たちも祝う。
女性たちはこの日に男性に何をプレゼントするか頭を悩ませる。男性たちはどうせまたシェービングフォームか靴下だろうと冗談を言う。職場では女性たちがパーティを催し、男性たちにサプライズを用意する。中には軍の服装をする女性もいるのだそうだ。
この日、すべての花屋が最低でも1ヶ月分の売り上げをあげるという。あちらこちらで春を告げる花とされるチューリップが売られる。ロシアでは女性に花を贈るときには奇数と決まっているので、花をプレゼントするときには間違えないように(偶数はお墓に供える)。
この祝日は女性の権利を求めるこれまでの歩みを祝うものである。1917年の革命の年のこの日、工場で働く女性労働者たちがペトログラードでデモを行ったが、その4日後、皇帝ニコライ2世は女性に選挙権を与えた。
しかしフェミニスト的な歴史を持つ祝日であるにもかかわらず、ロシアでは伝統的な女性の起源を祝うものとなっており、男性らは自分の母親や妻を祝い、賛辞を述べる。
パスハ(復活大祭)はロシアの国の休日ではなく、日曜日に祝われるものである。おそらくロシア人にもっとも愛される正教の祝日だろう。比較のために紹介しておくと、世論調査によれば、クリスマスを祝うロシア人は77%、パスハを祝うロシア人は82%となっている。
パスハは長く続く大斎期の終わりを意味し、この間、禁じられていた食品を節制してきた人々にとっては斎明けの最初の食事の日となる。パスハの前日に、クリーチと呼ばれる円筒型のケーキと色や絵をつけたゆで卵を教会で清めてもらい、日曜日に皆で食べる。
正教の復活大祭とカトリックの復活祭の違いについてはこちらからどうぞ。
ソ連で育った人々は、当時多くの人々が新年よりも心待ちにしていたこの祝日を懐かしく思い出す。メーデーのデモは歌と花にあふれた非常に楽しいイベントで、子どもなら誰もがそのイベントに参加したいと願ったものだ。
現在はソ連時代の雰囲気はもうないものの、暖かい春の最初の日の喜びが同じように残っている。5月の休暇として、国は通常4~5日の休日を設けるため、人々はダーチャ(郊外のサマーハウス)に出かけたり、自然を楽しむことが多い。
ソ連時代のメーデーの雰囲気を存分に感じさせるポストカードはこちらでどうぞ。
ロシア人の実に95%が祝うという祝日。新年の次に人気がある。朝は必ず、テレビで放映される赤の広場のパレードで始まる。人々は退役軍人(親戚を中心に)らを祝う(大祖国戦争はほぼすべての家族にその影を落とした)。
テレビでは1日中、戦争をテーマにしたソ連の映画が放映される。2015年以降は人々が第二次世界大戦の前線で戦った親族の写真を掲げて行進する「不死の部隊」という民間主導の新しい伝統が生まれている。この行進はロシアのあらゆる都市で行われている。
ロシアの日は比較的新しい祝日で、公式に祝われるようになったのは1992年以降である。この日はロシア国家主権宣言が採択された日であり、ロシアがソヴィエト連邦からの独立を宣言した日とされている。
ロシア世論調査センターが行なった調査によれば、この日を祝うと答えたのは54%で、その以外の人は単に楽しい夏の連休と捉えていることが分かっている。
ロシアでもっとも新しい祝日で、2005年に制定された。ソ連邦解体後、10月革命を祝う革命記念日(11月7日)が廃止されたが、11月に休日があることに慣れていること、また学校が休暇期間であることからこの日はお休みとなっている。
民族統一の日は1612年のポーランド支配からの解放にちなんだもの。クジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキーという2人の英雄(赤の広場に銅像がある)が国民義勇軍を率い、ルーシをレーチ・ポスポリタから解放した。
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