奇跡の救出劇:ツポレフ154はどうなったか

ミハイル・メルニチュク/Sputnik
 8年前、乗員乗客81人を乗せたツポレフ154が上空10,600メートルを航行中、すべての航行機器の喪失を伴うすべての電気系統の故障に陥った。しかしある人がタイガの中の閉鎖された空港にあるすでに使用されていない滑走路を12年間整備していたことにより、すべての乗客の生命が救われた。

 これは小さな航空会社「アルロサ」の定期旅客機ツポレフ154であった。飛行機に乗っていたほぼすべての乗客72人は、休暇に合わせてヤクーチヤからモスクワに向かっていた。乗客には食事と飲み物が配られ、眠りについていた。そして出発して3時間半が経過したとき、機内で突然すべての電気が消えた。

 2010年9月7日午前6時57分、タイガの上空10,600メートルを航行中のことであった。

 「わたしは起きていましたが、飛行機が低下していくのに気がつきました。まだモスクワに着くには早すぎる時間でした。窓の外を見ると、森が見えました。しかし元来た道を引き返すことはできなかったのでしょうか」。乗客のひとりであるアンドレイ・コンドラチエフさんは、当時を回想してそんな風に話す。「つまり何かが起こっているということです。ちょうどこのとき乗務員がやって来て、緊急着陸するので、身体を丸めるようにと言いました。わたしは3歳の子どもを膝に抱いていました。近くに座っていた妻と目を見合わせました」。

事故

 エヴゲニー・ノヴォショーロフ機長の話によれば、まず自動制御装置が作動しなくなった。そしてそのあとすぐにすべての航行機器が故障した。ノヴォショーロフ機長は次のように回想する。「わたしは予備の姿勢指示器が動くはずだと信じていたのですが、そのときは3つともが動きませんでした。その場合、着陸するしかありません。しかし通信も途絶えていました。最寄りの空港がどこにあるのかも分からなかったのです」。

事故の後、コミ共和国の滑走路に着陸した定期旅客機ツポレフ154

 その日の朝は曇り空で、パイロットらには地面も見えなかった。機長はさらに回想する。「電気はない。ポンプも動かない。何とかしなければならない。しかし30分後にはエンジンも停止するのです。唯一の方法は雲の中をつきぬけ、着陸することでした。まったく何も見えない状態で」。

 しかし幸運だった。雲の間から光が差し、パイロットたちは川と森を見た。このような航空機を着陸させるのは海上だけである。しかし生き残る可能性は低い。そしてそのとき、彼らは滑走路を見つけたのである。

 ノヴォショーロフ機長は「幻覚だと思いました」と打ち明ける。

飛行機はオーバーランし、地面に叩きつけられた。

 3度着陸を試みた。滑走路はツポレフ154には短く、またフラップとスラットが動いていないため、航行速度が通常よりも上がっていた。飛行機はオーバーランし、地面に叩きつけられた。コンドラチエフさんは言う。「翼が木々を切り倒し、木っ端が飛んでいくのが見えました。機内はパニック状態でした。タイガは濡れていて、蒸気が上がり、それで皆は飛行機が燃えているのだと思いました」。

 乗客の1人、ナジェジダ・フィリモノワさんのところに乗務員がスプライトとイソ吉草酸を持って来た。「みんな泣いていました。みんながまず考えたのは、なぜ他でもないわたしたちがこんな目に遭わなきゃならないのかということでした」。

森にいたある人物

 結局、乗客は皆無事だった。航空機の周りに消防士や看護師らが現れた。乗客らは空気で膨らむシューターで脱出したが、自分たちが生き延びたと信じることができなかったという。

 

 航空機を「救った」滑走路は、イジマ村の空港のものであった。かつては地元の航空会社が利用する発着の場であったが、1990年代からはヘリコプターの発着場として使われていた。126人のうち勤務していたのはたった一人、セルゲイ・ソトニコフさんだけであった。12年間、彼は毎日空港まで5キロ歩き、誰にも使用されなくなった滑走路をチェックしていたのである。誰に頼まれた訳でもないのに、なぜそんなことをしていたのかと尋ねられたソトニコフさんは次のように答えている

 「わたしはただ滑走路を使わせないようにしていただけです。ほとんどの人が馬に乗っているので、糞が落ち、それが乾燥して、ヘリコプターで風が舞うと、それが目に入ったりするのです。それはもうひどい状態です。木材が落ちたらそこに落ちたままだし、瓶を投げ捨てる人もいます。言ってみれば自分のために掃除していたわけです。気持ちよくいられるためです」。

航行機器が停止したツポレフ154の乗務員

 彼は、こうした理由で、周辺に生い茂る木々を切ったり、滑走路に車や木材などを置かせないようにしていたのである。ソトニコフさんがこれをしていなかったら、ツポレフ154がここに着陸するのは不可能だったであろう。

 ツポレフ154のその後

 調査委員会は事故の原因は機体のバッテリーの自己発熱により熱暴走が発生し、すべての航行機器が停止したためだと発表した。

 事故後、アルロス社はこの飛行機を退役させる計画だった。航空機はひどい損傷を受け、土の中から機体を引き上げるのにトラクターを使わなければならなかった。しかしながら飛行機はイジマ空港から自力で飛んだ。

 その後、機体は修理され、アルロス社は2011年には再びこのツポレフを使用すると決めた。1970年代に設計されたそのソ連製のツポレフ154は今もヤクーチヤ・モスクワ間を航行している。

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