スポーツにおけるソ連と西側の対立をテーマにした映画5選

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 冷戦の主役間の対立は生活のあらゆる分野に影響を与えた。スポーツもその例外ではない。ソ連チームとアメリカチームのスポーツの対戦は激しく荒々しく、それはまるで本物の戦闘さながらであった。ロシア・ビヨンドがスポーツ界における東西の戦いを描いた映画5本を紹介する。

伝説の17番(2013年)

 もっとも天才的なソ連のアイスホッケー選手のひとりで、背番号17番をつけたワレリー・ハルラモフの生涯を描いた伝記映画。映画のクライマックスは1972年に行われたカナダとソ連とのサミットシリーズ、モントリオールで開催された最初の試合だ。ソ連が敵チームの観客を前に、誉れ高いカナダのプロチームに勝てるチャンスはほとんどなかったが、ハルラモフが2ゴールを決め、7–3で奇跡的な勝利を収めた。

ミラクル(2004年)

  同じく氷上での奇跡をテーマにした映画であるが、こちらはアメリカ代表が起こした奇跡にスポットが当てられている。1980年に開かれたレイクプラシッドオリンピックの決勝戦で、アメリカチームは、それまでのオリンピックで4度連続金メダルを手にしていた「赤い精密機械」と対決する。無敵と思われていたソ連代表チームだったが、驚くべきことに、大学生のアマチュア選手で構成された、参加チームの中でもっとも若いアメリカ代表チームに4–3で敗北を喫した。

ゴーイング・バーティカル(2017年)

 1972年のミュンヘンオリンピックで行われたドラマティックで物議を醸した男子バスケットボール決勝、アメリカ対ソ連の一戦を基にした映画。試合では終始ソ連が主導権を握っていたが、終盤アメリカが50–49と僅差ながらリードしたところで試合終了の笛が鳴り、アメリカは早々と勝利に歓喜していた。しかしそれは時期尚早だった。スコアボードの技術的トラブルにより、試合終了3秒前から競技を再開することになったのである。しかもこれだけでは終わらなかった。タイムキーパーのミスで時間が戻されていなかったとして、再び残り3秒からゲームやり直しとなったのである。そこでついにソ連チームがチャンスを手にする。エンドラインから投じられたロングパスを受けたアレクサンドル・ベロフが2ポイントシュートを決め、ソ連は51–50で勝利をもぎとった。なおアメリカはこれに抗議し、表彰式に出席せず、銀メダルの受け取りを拒否した。

完全なるチェックメイト(2014年)

 2つの超大国間のチェスの対戦を描いた映画。さほど体は使わないものの、ドラマティズムにおいてはひけをとらない冷戦の戦いである。ホッケーやバスケットとは異なり、チェスはソ連の圧倒的無敵の“スポーツ”であった。アメリカはこのソ連の独占状態を打破することに躍起になっていたが、若き天才チェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーが登場するまでその夢は叶わぬままだった。作品は1972年にアイスランドのレイキャヴィクで行われた世界選手権で、タイトルをかけ対戦したフィッシャーとソ連のグランドマスター、ボリス・スパスキーとの一連の緊張の試合を描いたもの。スパスキーを破ったフィッシャーは世界チャンピオンのタイトルを獲得し、64マスのチェス盤の上に君臨していたソ連を破った2人目のアメリカ人(1人目はヴィルヘルム・シュタイニッツ)となった。

ロッキー4(1985年) 

 他のスポーツ映画と異なり、ロッキー4は実話ではないが、激しい東西の対立、ソ連とアメリカの対立を分かりやすく描いた作品である。有名なボクサー、ロッキー・バルボアはソ連のチャンピオン、イワン・ドラゴとの試合で命を落としたかつての宿敵で後に親友となったアポロ・クリードの復讐に燃えていた。ドラゴは真の殺人マシーンで、残酷かつ無情で、石のように冷淡で、底知れぬ力を持っていた。ロッキーはソ連での対決でドラゴを倒すために超人的な努力をし、敵陣の観衆を前に、勝利を収める。

 

 冷戦は生活のあらゆる局面に影響を及ぼした。ソ連とアメリカのラジオ局がどのようにしてイデオロギー的なプロパガンダ戦争をしていたのかについてはこちらで紹介しています。

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