ロシアは細部に至るまで、変わった習慣を持つ人々でいっぱいのミステリアスな国だ。クロアチア人のツイッターのユーザー、denisさんはロシア人の行動について鋭い質問をしている。「どうしてロシア人は、何か書いたら必ず最後に括弧を付けるのか。こんなふうに)」
「何か書いたら必ず」は言いすぎだ。科学のレポートや公的な書類で閉じ括弧を見ることはまずないだろう。しかし打ち解けたテクスト・メッセージやインターネットでは、その通り。我々は括弧が大好きだ。理由をお話ししよう。
歴史
閉じ括弧はスマイリーの起源だ。ロシアで最も偉大な作家の一人であるヴラジーミル・ナボコフは、人々にスマイリーが必要だと最初に結論付けた人々の一人だ。1969年に、歴史上最も卓越した作家の中に自らを置くとすればどこか、と問われたナボコフは、謙虚に、そして機知たっぷりにこう答えた。
「私はよく、笑顔を表すための特別な印刷用記号があれば良いと考えるんです。何か凹んだ記号、仰向けの丸括弧のようなものです。あなた方の質問に対する答えにくっ付けられるようにね。」何だか聞き覚えがある?そう、まさにお馴染みのスマイリーそのものだ!
しかしナボコフはそれを広めなかった。上機嫌を表す単純な記号が広まり出したのは1970年代のことだ。そして1982年、コンピューター科学者のスコット・ファールマンが文章中にそれを使うことを提案した。こんな感じだ: :-)
それから :) に変わったが、ロシア人は全く新しい次元に到達し、コロンをなくして丸括弧を先行する語に付けるだけにした。
“礼儀正しい句読点”
なぜ丸括弧を好むのか、ロシア人たちの説明はさまざまだ。ある人は「そのほうが短いから」という。しかし簡潔さや怠惰というのは問題の核心ではない。丸括弧には別の意味がある。これを使うことで、ロシア人は自分が友好的で礼儀正しく、会話の内容に満足していることを示しているのだ。必ずしも愉快さを表すわけではない。
TheQuestion.com(ロシアのQ & Aサイト)の利用者の一人アナスタシヤ・ヴォジャコヴァさんが括弧についてのある質問に答える中で述べているように、「もはや礼儀正しい句読点」なのだ。どういうことかと言うと、ロシア人は丸括弧に慣れてしまい、今や打ち解けたテクスト・メッセージで括弧を付けない人は、怒っているか、無礼だと思われてしまうのだ。アナスタシヤさんが言うには、絵文字は感情的すぎる。
誤解
この括弧というものはロシアではあまりに一般的で、ほとんど無意識的に使っているほどだ。この習慣のない外国人がこれを見て「なんだこれは」と悩むなどとは夢にも思わずに。ロシア人のコミュニケーション・マナーに困惑する人々もいる。
例えば、BBCのエドモンド・ハリスさんは2010年にこう書いている。「私の古い友人は、私が彼のもとへ向かっているとき、よくこんな文章を送ってきた。「マルボロ1箱とビールを買って来てくれ)」(彼のスマイリーはどういうわけか常に目と鼻がない)。私はこれをどう解釈したらいいのか。」
それから7年、おそらくそれよりもう少し経っているだろうが、我々は今彼に答えを出せる。解釈する必要などないのだよ、エドモンド! ただビールとタバコをやれば良いのだ! 丸括弧は実際何の意味もない。愛想よく見せる手段にすぎない。
ブラケット・エチケット
同時に、いくらかのニュアンスもある。括弧の数がカギとなる。“)”は礼儀正しさを表すだけ。もし“))”なら、あなたとメッセージをやりとりしている相手が何かを愉快に感じたというサインだ。もし“)))”なら、相手は大声で笑っている。そしてもし“))))))))))))”のようなものであれば、それはただのやりすぎだ。通常、インターネット文化に精通した人はこんなことはしない。
括弧にしても、スマイリーにしても、また絵文字にしても、気を付けたほうが良い。過度の使用は不快な印象を与えかねない。あるロシアの作家(ナボコフとは違って現代の)ヴィクトル・ペレ―ヴィンはスマイリーを“視覚的消臭剤”と呼ぶ。彼は皮肉を込めてこう書いている。「人々はふつう『くさい』と思うときにスマイリーを付ける。そうして良い香りを確保したがるのだ。」なかなかいい比喩ではないだろうか。)