フィギュア選手を金メダリストに育てるコーチ

ライフ
アレクセイ・モスコ
 ユリヤ・リプニツカヤ、エフゲニア・メドベージェワ、アリーナ・ザギトワを育てたのは、ロシア・フィギュアスケート界の「鉄の女」である。

 モスクワ南西部にあるスケート場「フルスタリヌイ」が、名所として観光マップにのることはないだろう。一見平凡な建物は、ロシアの未来のフィギュアスケーターが集う、きらびやかな揺籃だ。

チャンピオン輩出「工場」

 エテリ・トゥトベリゼ・コーチは、謙遜することなく、このスケート場を「工場」、生徒を「原材料」と言う。語弊があるとしても、結果はこの解釈を裏づけている。

 2009年、当時10歳だったリプニツカヤは、ウラル地方のエカテリンブルク市から母親とともにモスクワ市に引っ越し、ここで練習を始めた。5年後、ソチ冬季五輪団体戦でハリウッド映画「シンドラーのリスト」のサウンドトラックに合わせて演技し、世界を魅了。金メダルを手にした。

 2007年、当時7歳だったメドベージェワが、フルスタリヌイにあらわれた。2015年、シニアにあがるや否や、グランプリ(GP)ファイナル、ヨーロッパ選手権、世界選手権で優勝し、記録を塗りかえていった。

 ザギトワはここ2年、フルスタリヌイで練習している。昨年、14歳だったザギトワは、ロシア選手権でメドベージェワに次ぐ、第2位についた。新たな規定では15歳以上がシニアの条件となったため、目立てていないだけである。ジュニアでは昨年、高得点で金メダルをいくつも獲得した。

フィギュアの「鉄の女」

 トゥトベリゼ・コーチについて、一言で説明するのは難しい。強い女、厳しい指導者のイメージが定着している。トゥトベリゼ・コーチを、暴君だ、子どもを精神的にダメにしている、と批判する口の悪い人もいる。本人は厳しさを隠そうとはせず、批判にも耳を傾けている。「自分の選手を愛し、義務を果たしているコーチが、厳しいコーチだと言われるのはなぜ?(中略)叱るのは当たり前。選手にやるべき『やりたくない』ことを強制しているのだから。ただそれだけ」と「Rスポルト」紙に語っている。

 「コーチへの批判というのは、評価の中で、おそらく最も価値のあるものだと思う。褒めてばかり、はいけない」とトゥトベリゼ・コーチ。

 「鉄の女」は、ロシア・フィギュアを大きく変えた。ソ連時代から、女子シングルは代表の種目の弱点と考えられていたが、状況を一転させた。現在は女子シングルが代表を引っ張っている。けん引する選手を指導しているのが、他ならぬトゥトベリゼ・コーチである。「工場」の「ベルトコンベア」を潤滑化しているのだ。

 「五輪は特別なことではなく、単なるスタート」

 自己流を最小限に抑えさせ、決まりごとをキチンとさせる、というのが、「鉄の女」の取り組みの基本である。選手は「課題を与えられたら、課題を実行する」こと、と。簡単にできそうだが、ロシア選手の気質上、なかなかうまくいかない。

 「ロシアの選手は、コーチから与えられた課題を、頭の中で独自に処理し始める。『やる必要があるのか、ないのか』と。内的な葛藤が起こり、練習を阻む」とトゥトベリゼ・コーチ。

 フィギュアスケートは精神的に難しい競技だと考えられている。滑走前の緊張により、失敗することが多い。どんなに磨き上げられた選手でも、ここでつまづく。そして、それはトゥトベリゼ・コーチの選手に限らない。選手は、余計な責任を背負いこまない術を学ぶ。「五輪を特別なものととらえる必要はない。ただのスタートにすぎないのだから」とトゥトベリゼ・コーチ。

「女子4回転は3年後普通に」

 トゥトベリゼ・コーチのグループには、流れがある。1つの世代に続き、次の世代の女子が入る。止まらぬ作業、数歩先を行く構想は、トゥトベリゼ・コーチの信条。「選手にとって、昨日やったことは、今日はもう不十分であり、明日はさらなる欠如となる。例えるなら、ガガーリンが宇宙飛行した時、誰もが大喜びしたが、今は誰が宇宙に飛行しているのかもほとんど知らないのと同じ。女子が4回転ジャンプをすれば、今は大いに盛り上がるが、3年後には普通のエレメントになってしまうはず」と、「フィギュアスケート界」誌にその指導哲学を話した。

 子どもは転ぶことを恐れないため、できるだけ早い時期に4回転ジャンプを学ぶべきだと、トゥトベリゼ・コーチは考える。 「小さな子どもの練習を見ればわかるが、着地よりも、ジャンプで転ぶことの方が多い。大人はその逆。これは普通だけど、転ばないと4回転は習得できない。大人のスケーターは転ぶことを忘れ、進んで転ぼうとはしなくなる」とトゥトベリゼ・コーチ。

 トゥトベリゼ・コーチの野望は続く。最近動画サイト「ユーチューブ」に投稿されたフルスタリヌイの練習風景では、トゥトベリゼ・コーチの教え子である13歳のアンナ・シチェルバコワ12歳のアレクサンドラ・トルソワは、4回転ジャンプをきれいに決めている。ロシア選手の活躍はまだ終わらない。

 エテリ・トゥトベリゼ氏は、元女子シングル選手。ナタリヤ・ベスチェミヤノワ(1988年カルガリー冬季五輪金メダリスト)などを育てたエドゥアルド・プリネル・コーチに師事したが、背中の故障により、大きな成功を収めることはできなかった。治療後にアイスダンスに転向し、数年滑った。その後アメリカに渡り、アイス・ショー「アイス・カペイズ」で活動し、コーチ業を始めた。その後、ロシアに戻った。