ナポレオンはロシア軍に勤務する可能性があった?――答えは「はい」!

歴史
ボリス・エゴロフ
1788年、ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)は、まだ無名の少尉で、フランス南東部のヴァランス市守備隊に勤務していた。勤務は、彼に満足のいくものではなかった。金欠に苦しみ、出世の見通しもぜんぜんなかった。しかし突然、すべてを一変させるチャンスが訪れた。当時オスマン帝国と戦っていたロシアが、外国人将校の採用を始めたのだ。

 ロシア軍の俸給は悪くなかった。戦場で手柄を立て出世階段を駆け上がることも、あり得ない話ではなかった。

 だから、1788年初めにロシアのイワン・ザボロフスキー将軍が志願兵募集に、イタリアのリヴォル市にやって来たとき、ボナパルトはすぐさま彼のもとへ向かった。

 ところが、難点が一つあった。外国人は、ロシア軍に採用される際に、階級を下げられたのだ。野心的なコルシカ人は、すぐさま大尉になれると当てにしていた。

 ボナパルトは、ザボロフスキーとの個別の面談にこぎつけたが、何の成果も得られなかった。ロシアの将軍は、なぜ、何者とも知れぬ一介の少尉に特例を設けなければならないのか、さっぱり納得できなかった。

 怒ったボナパルトは、捨て台詞を残して部屋を出ていった。「私はプロイセン軍に勤務する。あそこの国王は​​、私を大尉にしてくれるだろうさ!」

 しかし、彼はプロイセンには行かなかった。まもなく大フランス革命が始まり、ナポレオンを権力の頂点に押し上げることになる。