ロシアの国旗の日

歴史
ロシア・ビヨンド
8月22日は、ロシア連邦の「国旗の日」として祝われる。 1991年の今日、ソ連保守派が起こした8月クーデターが失敗した後で、ホワイトハウス(ロシア共和国最高会議ビル)に、ソ連の国旗(赤旗に鎌と槌)に代わるものとして、初めて公式に、白青赤の三色旗が掲げられた。

 ロシアの旗の三色がそれぞれ何を意味するのかについて、公式の解釈は存在しない(少なくとも、法律で定められてはいない)。それで、国民の間では様々な説が唱えられている。最も人気ある説は、白は高貴さと開放性、青は誠実さと純潔さ、赤は勇気と寛大さと愛、または祖国のために流された血を象徴するという。

 白青赤の三色旗は、早くも18世紀にロシアに登場しているが、これが国旗になるまでの道のりは長かった。

 歴史家たちは、1668年をロシア国旗の誕生の年とみなしている。国旗の原型は、ツァーリ、アレクセイ・ミハイロヴィチの治世に初めて、ロシアの最初の船「オリョール(鷲)」に登場した。

 しかし、それがどんな外見で、縞模様がどう配置されていたかは、正確なところは分からない。赤、白、青の生地が縫い合わされたという言及しかない。

 現在の旗の外観は、ピョートル1世の下で定まった。白青赤の横縞は、「モスクワのツァーリの旗」と呼ばれていた。まさにこうした、双頭の鷲の描かれた、1693年の旗が、現存する最古のものであり、帆船「聖ピョートル(ペテロ)」に初登場している。

 その後、軍艦用として別の旗が決められ、三色旗のほうは、ピョートル1世の勅令により、海洋船、貨物船を含むすべての商船その他の民間船に掲げられることになった。

 ところが、ロマノフ王朝のピョートル1世の子孫たちにあっては、旗の、いってみれば「二重権力状態」が定着してしまった。つまり、白青赤の三色旗とともに、黒黄白の三色旗、いわゆる国章旗(現在、それは「帝国旗」と呼ばれている)が併用されたのである。

 白青赤の旗が国旗になったのは、ロシア帝国のラストエンペラー、ニコライ2世の時代だ。政権は、新帝と国民との団結の象徴として、この「ロシア古来」の国旗を復活させることに決めた。

 しかし、1917年のロシア革命後、ボリシェヴィキ政権は、帝国のすべてのシンボルと同様に、三色旗も廃止した。そして、革命的な赤色が、新生ソビエト国家の色として選ばれた。

 鎌と槌の描かれた赤旗が、1922年にソ連の旗として承認された。ソ連共産党が指導するソビエト国民の、社会主義と共産主義の建設を目指す英雄的闘争の象徴としてだ。ロシアの三色旗が復活するのは、ようやく1990年代のこと。

 1991年8月18 ~21日に、いわゆる「8月クーデター」がソ連で起きた。これは事実上、国家体制を改変、転覆しようとするクーデターだったが、未遂に終わった。ロシア「ホワイトハウス」に数千人が集まり、ボリス・エリツィンは、あのロシアの白青赤の三色旗を掲げた。

 国旗に関する最初の法律は 、1993年にボリス・エリツィン大統領が承認し、さらに2000年にウラジーミル・プーチン大統領が「ロシア連邦の国旗に関する」連邦憲法法に署名した。

 この法律で、旗の外観について正確に規定されている。

「ロシア連邦の国旗は、長方形をなし、3つの等しい横縞からなる。上が白、中が青、下が赤である。旗の幅と長さの比率は2:3である」。法律にはこう記されている。

 この法律は、旗をどこで使用できるかできないかという範囲も定めている。この旗は常に、連邦レベルの重要な国家機関で掲揚される。ロシア連邦の公式シンボルだ。ただし、各地域は、地域の旗のベースとして国旗(三色旗)を用いることはできない。

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