ナデジダ・クルプスカヤ(1869~1939年)は、ソ連を建国した革命家の妻だっただけでなく、自身が革命家であり、地下活動を行い、亡命先でも働いていた。彼女は(多くの革命家と同様に)貴族の出身で、帝都サンクトペテルブルクのギムナジウムを優等で卒業し、その後、夜間学校で労働者に歴史、地理、数学を教えた。
1917年の革命後、クルプスカヤは、国民教育および浮浪児の問題に取り組んだ。
ロシアのアーカイブには、彼女の写真が数百枚保存されている。ここでは最も知られていないものをご紹介する。
1. 労働者アガフィア・アタマノワという触れ込みで変装したナデジダ・クルプスカヤ。彼女は、夫ウラジーミル・レーニンに会いに、フィンランドに旅した。レーニンは、2月革命後に成立した臨時政府による迫害から身を隠していた。1917年8月。
2. 車上のウラジーミル・レーニン、ナデジダ・クルプスカヤ、そしてレーニンの妹マリア・ウリヤノワ。1918年、モスクワのホドゥインカ原における赤軍部隊のパレードの後で。
3. 前線に赴く前の第28師団第250歩兵連隊の会合に出席したクルプスカヤ。1919年夏。
4. ウラジーミル・レーニンとナデジダ・クルプスカヤが、会議を終えて、モスクワの連邦会館を後にする。1919年。
5. ウラジーミル・イリイチ・レーニン(右)、ナデジダ・コンスタンチノヴナ・クルプスカヤ(中央)、アンナ・イリイニシナ・エリザロワ=ウリヤノワ(レーニンの姉、左)。モスクワ郊外のゴールキにて、1922年。
6. ウラジーミル・レーニンとナデジダ・クルプスカヤ。モスクワ郊外のゴールキにて、1922~1923年。
7. ナデジダ・クルプスカヤと、モスクワ郊外のムイチシにあるレンガ工場の女性労働者。1927年。
8. 絹織物工場「赤い薔薇」の労働者たちと会うナデジダ・クルプスカヤ。1927年。
9. クルプスカヤとウズベク女性のコムソモール員たち(コムソモールは共産党の青年団)。ウズベク・ソビエト社会主義共和国、1936年。
10. ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の教育人民委員代理(副大臣)を務めるナデジダ・クルプスカヤが、学童のために本にサインする。モスクワ、1936年。