こんな誤解がある。最高司令官ヨシフ・スターリンは前線に赴いたことがなく、クレムリンの快適な執務室から離れずに軍を指揮したがった、と。
実際には、スターリンは赤軍の前線に何度も行っている。ただし、彼の視察は極秘だったので、正確な回数は不明で、4~10回と考えられる。
「首都を守る『モスクワの戦い』の期間、スターリンは二度前線に出た」と、ソ連内務人民委員ラヴレンチー・ベリヤの息子セルゴは回想する。
「こうした前線への視察は事前に誰かが予定することは決してなかった。例えば、スターリンは、ヴォロコラムスク周辺に出かけたときは、突然、ジューコフと私の父に電話して、その日、彼らといっしょに前線の区域の1つに行くつもりだと言った…。彼個人の警護に加えて、内務人民委員部(NKVD)の2中隊が護衛に加わった…。最高司令官は、司令部にしばらく滞在して、ドイツ軍の最前線を視察した。そして私たちはモスクワに戻った」
スターリンが1943年8月初めにルジェフ(モスクワから230キロメートル)を訪れたことも知られている。ここには、アンドレイ・エリョーメンコ将軍(後に元帥)が指揮するカリーニン戦線の司令部があった。
クリメント・ヴォロシーロフ元帥、最高司令官ヨシフ・スターリン、コンスタンチン・ロコソフスキー元帥
Konstantin Finogenov最高司令官の来訪は、「スヴォーロフ作戦」の準備と関係していた。これは、スモレンスクを解放し、ドイツ軍の「中央軍集団」の左翼を撃破するものだった。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。