ロイヤル・スコットランド連隊にとって、ロシア皇帝ニコライ 2 世の名前は、単なる名ではない。この皇帝を描いたイコンがエディンバラ城の連隊本部に掲げられており、軍事作戦中には連隊に「同行する」(ちなみに、ニコライ 2 世は、2000年にロシア正教会により列聖されている)。また、この連隊の軍楽隊は、さまざまな式典においてロシア帝国国歌「神よツァーリを護り給え」を奏する。
では、ロシア皇帝とイギリスのエリート部隊との間にどんなつながりがあるのか?
左から:ロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ、その娘の幼い大公女オリガ、ニコライ2世、英国のヴィクトリア女王、そして英国のエドワード皇太子(後のエドワード7世)。1896年
Public domainロイヤル・スコットランド連隊は、紛れもなく英国の軍隊のエリートだ。1971 年に第3カービン銃騎兵連隊(プリンス・オブ・ウェールズ近衛竜騎兵連隊)と第2竜騎兵連隊(グレイ連隊)が統合されて編成された。
いずれの連隊も長い歴史(17 世紀に遡る)と輝かしい戦歴を誇っており、まさにこのグレイ連隊が、ロシアと特別な関係を有していた。
ニコライ2世
Public domain1894 年、ロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ(後の皇帝ニコライ 2 世)と愛する孫娘ヴィクトリア・アリックス(ヘッセン大公の四女で、後の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ)との婚約を記念して、英国のヴィクトリア女王は、ニコライを第 2 竜騎兵連隊の名誉連隊長に任命した。
当時、こうした慣行は珍しくなかった。これと同時に、プリンス・オブ・ウェールズ(後の英国王エドワード 7 世)は、キエフ第 9 軽騎兵連隊の名誉連隊長になっている。
竜騎兵連隊大佐の制服を着たニコライ2世の肖像画、ワレンチン・セローフ作
Legion Media1894 年 11 月 19 日、サンクトペテルブルクで英皇太子夫妻の立会いのもと、既に皇帝に即位していたニコライ 2 世は、正式に名誉連隊長となった。その 2 年後、アルフレッド・ウェルビー中佐が、公式に竜騎兵を代表して、ニコライの戴冠式に参列した。
ニコライ 2 世が、1896 年の戴冠式の後に初めて外遊したのは他ならぬ英国だった。スコットランドのバルモラル城でのヴィクトリア女王との会見に、皇帝は、グレイ連隊の赤い軍服を着て臨んだ。英国内の旅行中に彼を護衛したのも「グレイ」の兵士たちだ。
ロイヤル・スコットランド連隊のパレード
Legion Media1902 年、ニコライ 2 世は、ロシアの有名画家ワレンチン・セローフに、竜騎兵連隊大佐の制服を着た肖像画を注文し、連隊に贈った。これは現在、エディンバラ城の「グレイ博物館」に所蔵されている。
1918 年のニコライ 2 世とその家族の処刑は、ロイヤル・スコットランド連隊に衝撃を与えた。皇帝の非業の死を悼むしるしとして、彼らは今でもベレー帽のコケードの下または飾り布の下に、黒い布切れを付けている。
ニコライ2世を描いたイコン(聖画像)
Public domain1998 年、連隊の代表は、サンクトペテルブルクのペトロパヴロフスク要塞の大聖堂における皇帝一家の改葬の式典に出席した。
その 3 年後には、モスクワ・カレドニア・クラブ(スコットランドとロシアの歴史文化遺産を広く伝えることを目指す社会団体)の代表が、ニコライ 2 世を描いたイコンを竜騎兵たちに贈った。以来、このイコンが連隊を離れたことはない。
「グレイ」の兵士たちの確信するところでは、ロシア皇帝の「とりなし」のおかげで、彼らは、その後の軍事作戦では、実質的に損失を被らずに済んだ。
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