ツァーリは兵士に何を食べさせたか:ロシアの「ミリメシ」の歴史を振り返る

Public domain; George Mews/ russiainphoto.ru
 18~19世紀のロシアの兵士のメニューにはどんな食事があったのだろうか?そして、その栄養の良し悪しは、ロシア軍のパフォーマンスにどう影響したか?

 「パリ暮らしはかなわんよ、君。何も食うものがないんだから。黒パン(ライ麦パン)を買おうとしても無駄さ!」。ピョートル・シェレメーチェフはパリに外交官として駐在し、1827年に帰国した。その際に、詩人アレクサンドル・プーシキンにこう語っている。

 黒パンの何がそんなに特別なのだろうか?黒パンは、イースト菌ではなくサワードウを使い、ビタミンが豊富だ。それは、すべてのロシア人にとって定番で、ロシアの兵士も例外ではなかった。

 黒パンがないと、ロシア軍はどうも本来の調子が出なかった。1735~1739年の露土戦争では、ロシアの補給部隊は、タイムリーにクリミアに到着できず、軍は地元で食事を賄う羽目となった。

露土戦争中(1877-1878年)の補給部隊

 プロイセン陸軍軍人のクリストフ・フォン・マンシュタインはこう記している。「兵士たちをいちばん弱らせたのは、彼らが酸っぱいライ麦パンを食べることに慣れていて、ここでは種なしパンで辛抱しなければならないことだった」

「カマ」を食べる軍隊

 ピョートル大帝(1世)以前は、遠征中のロシア軍将兵の食事は、古代からそうだったように、彼ら自身に任されていた。ロシア・ツァーリ国に正規軍が出現すると間もなく、軍人は土地を割り当てられた。それぞれの土地で彼らは、当然のことながら、農奴を利用しつつ、自分たちの食事を賄ったわけだ。 

 しかし、遠征中となると、ピョートル以前のロシア軍は、地元の川で狩猟や釣りをしなければならなかった。あるいは、軍隊の後についていく幌馬車の商人たちから食料を買わねばならなかった。

 当時のロシア兵の食事は単純で、タンパク質はあまり豊富でなかった。黒パン(幌馬車隊が駐屯地で焼いたもの)とザワークラウト(キャベツの漬物)。それからタマネギ、ニンニク――これらは栄養価が高いだけでなく、免疫系を強化する。

黒パン(ライ麦パン)

 そして、輸送が簡単で素早く調理できる、さまざまなお粥が出された。キビ、オートミール、大麦のお粥が、よくある簡単な食事だった。

 しかし移動中は、兵士たちは、カマ(燕麦粉のお粥)の方を好んだ(カマは、ロシア語でtolokno。toloch〈細かく砕く〉から派生した)。煮なくてもよく、出先でも食べられるからだ。

 仮設の宿営場所では、カマに魚の干物やラードを入れて、お湯で煮て、より栄養価の高いお粥を作った。細かく刻んだり砕いたりしたラードは、ほとんどすべてのお粥に入れられた。

 干し肉は、いつでも利用できたわけではない。とくに、湿度の高い季節は難しかった。干し肉の塊は、湿度が高いとすぐに腐りかねない。だから、その代わりに兵士たちは、長期の遠征には乾燥させたキノコとカブを携帯した。しかし、そのすべてが軍当局から提供されるとは限らなかったから、兵士たちは、いつでもどこでもできるだけ狩猟と釣りにいそしんだ。

ピョートルが肉をとりいれる

 タンパク質が定期的に供給されなかったため、ピョートル大帝以前のロシア軍は栄養不良に陥っていた。たぶんこれが、17世紀にロシア軍の戦力が著しく低下した理由の一つだろう。 

 ピョートルは1700年に、糧食担当の将官のポストを初めて設置した。これは、ロシア軍の食糧供給を担当する特別な将官だ。

 今や、全兵士に対する食糧供給は、二つの部分から構成されることになった。つまり、彼らの食事と馬の飼料だ。外国への遠征では、兵士に馬の飼料のみが与えられた。敵の領土を略奪して食糧を得るのは当然だと考えられていた。恐るべきことだが、18世紀の軍の「倫理」では、占領地は、略奪して当然の対象とみなされていた。

 しかし、ロシア国内では、兵士の一日の食事は、黒パン820グラム、牛肉410グラム、ウォッカ250ミリグラム(グラス一杯分)、ビール3.27リットル(!)。また、兵士は毎月、約6キログラムのさまざまなお粥の素材になる乾燥穀物と820グラムの塩を受け取った。階級が高いほど、より多くの食料が割り当てられ、たとえば、大佐には最大50日分の食料が与えられた。

 もちろん、これは大佐が一度にドカッと20キロの肉を受け取るという意味ではない。各中隊長に、日当がお金で配られ、日当分の食料は、幌馬車隊の商人(酒保)から、このお金で買うことができた。 

 1720年に、日当の基準が確定された。「塩代」は一日75コペイカ、「肉代」は72コペイカだ。 兵士たちは給金といっしょに、そのお金を受け取った。食料の購入とその後の調理は、各部隊(兵士100~250人)が選んだ料理人が行った。料理人は幌馬車隊とともに移動した。彼らは軍隊の前を進み、次の露営地にいち早く着いた。これは、食事を調理する時間をとるためだ。

 こうしてピョートルの兵士の食事は、ついに肉を含むことになった!しかし、脂肪、魚、野菜は不足していた。相変わらず、キャベツの漬物、ビート、タマネギ、カブ、ニンニク等がその代用だ。正教の精進の時間は――当時は年間200日に及んだ――肉は魚に置き換えられた。

 ピョートルは、パンの品質に細心の注意を払っていた。

 「軍隊でいかなる病気も発生しないように、パンと小麦粉の両方が腐敗したり、悪臭を放ったりしていないか確認することが肝要である」。ピョートルは1716年の軍紀に記している。「…規則に定められている(小麦粉の)量を減らさぬように、宿営地のパン製造(の担当者)を監督しなければならない」

空腹に逆戻り

 ピョートルの方式によると、兵士の食事は一日当たりわずか約3100キロカロリーだが、重い肉体労働に従事する18~40歳の男性の場合、一日の栄養所要量は4200~4500キロカロリーだ。それでも兵士の食事は、18世紀の間、ほぼ同じままだった。

 女帝エリザヴェータの治世に、乾燥したパン粉が、食事の一部になった。軽量で持ち運びが簡単だからだ。しかし、長期の露営や都市の包囲戦では、兵士は消化器系の障害を起こすようになるので、長い間パンを食べ続けることはできない。乾パンを絶えず食べると、腸の上皮が傷つき、出血を引き起こすからだ。「パン粉の下痢」は、軍隊ではありふれた現象となった。

乾燥したパン粉

 ナポレオン戦争の後、ロシア軍の栄養はさらに悪化した。兵士の食事に肉が出ることは、かつてのように珍しくなった。代わりに兵士たちは、スープ(キャベツ、エンドウ豆、オートミールのスープなど)を与えられた。そして、お決まりのオートミールと大麦のお粥だ。これだけでは兵士の健康を維持するのに十分ではなかった。

 ビタミンCの不足で起きる壊血病が、将兵の間で広がった。歴史家で医師のアレクサンドル・プチコフスキーによれば、1830年に76万人近い兵士が壊血病にかかり、そのうち7万人以上が死亡したという。

 栄養不良は、軍隊の戦いぶりに悪影響を及ぼした。ロシア軍は、1830~1831年のワルシャワ蜂起(11月蜂起)、および1849年のハンガリー革命の鎮圧に苦労した。クリミア戦争では、供給問題が最も深刻な問題の一つになった。1735~1739年の露土戦争におけるように、クリミアのロシア軍を支えるに十分な補給と食糧がなかった。

兵士と食事をするスヴォーロフ大元帥

 クリミア戦役中、ロシア軍は果物や野菜を入手できず、地元のクリミアの食糧資源は瞬く間に枯渇した。この戦争でロシアが敗北した主な理由の一つは、栄養不良だ。

 軍の補給系統の汚職への対策として、アレクサンドル2世の治世に、軍当局者は兵士に、毎日913グラムの小麦粉と120~130グラムのお粥を含む、食事一式を必ず与える方式に切り替えた。これでも大した量ではないが、19世紀半ばの時点では、ドイツとフランスの兵士のパンは、一日当たり750グラムにすぎなかった。

 しかし、肉、脂肪、野菜、油は、供給を義務付けられていなかった。そのため、酒保から必要な食品を買えるようにと、給料に上乗せしてお金が与えられた。とはいえ、新鮮な野菜は依然足りなかった。その代わりに、エンドウ豆とキャベツがたいてい、兵士のメニューにあった。 

 1877~1878年の露土戦争では、冬季の戦闘で多くの兵士が凍傷にかかり、風邪をひいたので、戦後、一日当たり145グラムの「パンのワイン」(ウォッカ)の支給を復活させた。また、お茶の消費量が増えるにつれ、兵士のメニューにもとりいれられた。

 1905年、兵士は年間737グラムのお茶を受け取る権利があった。一方、イギリスの兵士は年間2.5 キロのお茶を、同国の水兵は3キロ以上のお茶をもらっていた。 

 ロシア軍への缶詰の導入は遅かった。1873年のヒヴァ遠征中に、缶詰のスープと肉が初めて軍に登場したが、ロシア兵は食べようとしなかった。しかし19世紀末には、缶詰の煮込み肉は、ロシア兵にはおなじみになっていた。缶は、ナイフか銃剣で開け、直火で温めて、缶からそのまま食べた。

 日露戦争が始まる頃には、ロシア軍のすべての連隊は、行軍中も出先でも調理できるフィールドキッチンを備えていた。一部の部隊でのみ、鍋や大釜で昔ながらの調理が行われていた。20世紀初めには、ロシア軍の食糧供給は、ヨーロッパ諸国にそれに比して遜色がなくなっていた。

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