ソビエト連邦で人々は何に行列を作ったのか(写真特集)

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 行列はソビエト時代の特徴だった。ほとんどの商品が不足しており、まれにしか起こらない売り場への「放出」は大行列を生み出した。

1. 食料品のために

食料品店の行列、ヴェリキイ・ウスチュグ

 ほとんどの場合、ソビエト連邦のどの食料品店でも、バター、トマトジュース、カバノキのジュース、リンゴジュース、乾燥したキセーリ、缶詰、穀物、クッキー、パスタを買購入することはできたが、ソーセージ、チーズ、新鮮な肉や果物、特にエキゾチックなバナナなどは実際ほぼ買うことができなかった。

 お店の店長を友人にすることは特権的であるとみなされた。なぜなら店長ならいつでもカウンターの下から何かを「取り出す」ことができたからだ。

エリゼエフスキー、1951年

 モスクワで最も手間のかからない店は、トヴェルスカヤ通りのエリゼエフスキー(当時は「食料品店No. 1」と呼ばれていた)だった。店頭には常にチョコレート、挽いたコーヒー、さらに赤と黒の魚卵も置かれていた。この店のために客がモスクワの外からも来たのだ。

 レニングラードでこれに相当するお店は「東洋のお菓子」という店だった。ここでは、目新しいロクムやその他の料理が集まっていた。

 品薄や投機に対処するために、ソビエト連邦の指導者たちは定期的に引換券を導入した。これは、お金に加えて、特定の商品を購入するために許可が必要であることを意味していた。一般に、このような「券」が使われていた期間はあまり長くはなかった。1929~1934年にはパンの引換券があり、1941〜1947年には多くの食料品に対して適用され、1970年代後半に一部の地域(主にウラル地方)ではソーセージの引換券が使われていた。

サラトフの購買客の列、1989年。

 品薄状態はソ連の末期にピークに達した。1989年には、砂糖、油、穀物、アルコール、石鹸、粉末洗剤の引換券が至る所に導入された。酒類の購入には制限があった。片手でウォッカまたはワインのボトルを1つしか購入することができなかった。

酒屋の行列、ティンダ(極東)、1988年。

2. 本のために

クズネツキー・モストの書店、1981年。

 ソビエト連邦は最も読書好きの国の一つだったが、おとなしい冒険小説や素晴らしい構成のおとぎ話でさえ店頭に並ぶことは珍しかった。

 最も人気があったのは、ロシアや海外の古典の全集、海外の探偵小説、および芸術に関する図録だった。

 1974年、ソビエト連邦では古紙と引き換えにもらうことができる本の引換券が導入された。20キログラムの古新聞や古雑誌の場合、引換券一枚と交換でき、店の希少な本と交換できた。

ヤロスラブリ州の本市、1981年。

3. 何か「売り出されている」もののために

掌に書かれた順番待ちの数字

 実際、これもよくあったことだ。おそらく頻繁に。通りを歩いて、行列を見つけて、そこに並び始める。なぜならもし人々が並んでいるのなら、それはそこで何かが「売り出された」ということであり、明らかに、それは価値のある何かをだからだ。

 「1987年春。輸入品の(!!!)スニーカーがムールマンスクにやってきました」とブロガーのコンスタンティン・シャービンは回想する。 「残念ながら、スニーカーについては遅すぎました。2日目だったのです。順番は700番目でした。 私は2度順番待ちに行きました。一日で300人分私の番は進みました。結局、私の分のスニーカーは残されていませんでした。」

グム百貨店

 また、最も有名なデパートである赤の広場のグムなど、最も頻繁に「売り出される」場所もあった。ソーセージから毛皮のコートまで、ロシアのすべての地域から希少な品を購入するためにそこへ行ったのだ。しかし、行列に並んでも購入は保証されなかった。一晩中何もしないで立って待つことだってあったのだが。

4. 芸術のために

プーシキン美術館での「モナリザ」

 モスクワやレニングラードを訪れた珍しい観光客は、特に特別な展覧会の間には、博物館や劇場で長い行列に並ぶことはなかった。モスクワのプーシキン美術館は、多くの人から「周りの世界への窓」と呼ばれていた。ここでしか、現代と古典の両方の世界的に有名な海外美術を見ることができなかったからだ。 「私たちは海外に行くことができませんでした。プラド美術館とは何か、ルーブル美術館とは何なのか、フィレンツェとミラノの美術館は何なのかは知りませんでした。プーシキン博物館は非常に困難だったことだが情報と展覧会の常用を提供してくれたのです」と、雑誌『オゴニョク』の編集者ヴィタリィ・コロティチは回想する。

 1974年、プーシキン美術館にダヴィンチの最も有名な絵画「モナリザ」がやってくることが判明した。「彼女」は日本から到着し、2か月間ソビエト連邦に滞在した。人々は「サンドイッチ、魔法瓶を片手に、読書や仮眠をとりながら即興のベンチに座り、決められたわずか15秒間「モナリザ」を見るために」7〜15時間並んでいた、とこのイベントについて『オゴニョク』に書かれている

 1980年、マドリードのプラド美術館からスペイン絵画の傑作がモスクワに持ち込まれた。その中には、エルグレコ、ベラスケス、ゴヤの作品があった。伝説の絵画を見てみたい人は長い時間列をなして待った。

5. 廟のために

レーニン廟の行列

 おそらく、モスクワの最も有名な行列はレーニン廟だ(現在もまだある)。 1924年の建設以来、1億2000万人が訪れた。

6. ハンバーガーのために

マクドナルドの行列

 ソビエト連邦最後の大行列は、1990年1月31日のモスクワにオープンしたマクドナルドの行列だ。開店初日には3万人以上の人々が訪れ、多くの人が夜から場所を取った。こうして、9000人を越える客がハンバーガーのためにやってきたブダペストでのこのチェーン店の記録は破られたのだった。モスクワでの最初の客には、記念品としてマクドナルドのロゴが付いたバッジと旗をプレゼントされたことが知られている

 「オープニングの前夜、友達と私は寮からプーシキンスカヤまで徒歩で行きました。到着すると、すでに3人が待っていました。私たちが開店までずっと並ぶかどうか考えていると、さらに2人が現れて並びました。私は6番目に並んだのです。そして、開店まで並んで立っていました。

 それ以来、私はマクドナルドのファンです」とブロガーのコンスタンティン・シャービンは回想した

 マクドナルドの行列は、新しい次の店舗が開店するまで続いた。

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