帝政ロシアの度を越した禁制7選

Pixabay; Sputnik
 丸い帽子を禁止したり、喫煙を犯罪行為としたり――一見馬鹿げているが、どの禁制にもそれなりの理由があった。

1. 街中でのクマの散歩

 芸ができる訓練されたクマを連れた「クマの散歩」は、帝政ロシアでは大変人気があった。だが1867年、ロシア帝国大臣委員会はクマの散歩の伝統を終焉させる法律を出した。条文によれば、法律導入の目的は、「1. 動物虐待」「2. クマの調教師の放蕩と淫行の助長」を防ぐことだった。クマの散歩が犯罪に指定されると、この伝統は徐々に廃れていった。

2. トランプとサイコロ

 17世紀、ロシアのツァーリはかなり信心深かった。少なくとも表向きは。皇帝アレクセイ(1629-1676)は、チェス、チェッカーといった外国のボードゲームやサイコロを愛したが、民衆がこれらの遊びをすることは禁じた。1649年の会議法典によれば、「トランプとサイコロ」で遊ぶことは窃盗に匹敵する犯罪行為とされている。違反者は体罰を受けたり、手足を切断されたり、烙印を押されたりした。

3. 仔牛を食べること

 牛を屠って食べることはロシアでは禁止されていた。食料不足のため、牛乳を恵んでくれて、さらに仔牛を増やしてくれる牛を殺すことは狂気の沙汰と考えられていた。19世紀まで、ロシアの農民の食卓に牛肉が上がるのは大きなお祝いの席だけで、それも年老いた牛の肉だった。

 仔牛を殺すことは悪魔の所業と考えられていた。ロシアに滞在したフランス人傭兵のジャック・マルジェレは、1606年にこう記している。「ロシア人は信仰にもとると言って仔牛の肉を食べないため、牡牛と牝牛の増加が顕著だ。」 同時期にロシアを訪れたスウェーデン人旅行家、ペーター・ペトレイウスは、「モスクワ人にとって、牛肉を食べることは人肉を食べることよりも悪い」と指摘し、またドイツ人旅行家のヤーコプ・ロイテンフェルスによれば、ある時イワン雷帝は、仔牛を食べたかどで非ロシア人の労働者3人を生きたまま火刑に処したという。

4. 顎鬚

 ピョートル大帝は、外国人がロシア人と商売し易くするには、ロシア人は顎鬚を生やしたりおかしな服装をしたりするのをやめて、西欧人に近付かなければならないと考えた。

 1705年、ピョートルは、農奴以外は皆顎鬚を剃るべしとの法令を出した。顎鬚を剃ること拒んだ者は、1715年以降年間50ルーブル以上の莫大な額の罰金を取られた(ちなみに当時は5ルーブルあれば塩100キログラムが買えた。海軍尉官の平均年収は120ルーブルだった)。違反者は重労働を余儀なくされた。

 顎鬚税が撤廃されたのは1772年のことだった。この頃には流行も変わり、ロシアの商人や市民は概して顎鬚を伸ばさなくなっていたからだ。顎鬚を生やしていたのは、農奴や僧侶、一部の商人に限られた。

5. 帽子から言葉までフランス革命に関するすべて

 エカテリーナ2世の後を継いだ息子のパーヴェル1世は、フランス革命の後、国家転覆を狙う反乱がロシアでも始まるのではないかと気を揉んでいた。パーヴェルはルイ16世やマリー・アントワネットと親交があり、彼らの処刑を知った際は恐怖に襲われた。

 パーヴェルが禁じたのは、フランス風の丸い帽子、男性用のかつら、長い頬髯、チョッキ、太いネクタイだった。いくつかの言葉も禁止された。

 革命的な響きのある「グラジダニン」(「市民」)の代わりに「オブィヴァテリ」(「住民」)という言葉を使うべきだとされた。「オテチェストヴォ」(「祖国」)に代えて「ゴスダルストヴォ」(「国家」)という語を使わなければならなかった。

 パーヴェルが暗殺された後、これらの禁制は解かれた。

6. スイカとリンゴ

 一年に一度だけ、ロシア正教会の信徒らは球状の果物を食べることを控えた日があった。それは9月11日、洗礼者ヨハネ(前駆授洗イオアン)斬首祭だ。ユダヤ教のシャバトのように、この日は労働が認められていなかった。奇妙なのは、誰も球状の果物(スイカやリンゴ)や野菜を食べなかったということだ。洗礼者ヨハネの頭を思わせたからだろう。

 また、ナイフや剣、鎌など、切断用の道具の使用は禁止された。この日はパンをナイフで切らずに手で千切って食べなければならなかった。

7. タバコ

 タバコはイングランドの商人を通して16世紀にモスクワに伝来した。間もなくロシア人は好んで喫煙するようになり、噛みタバコや吸煙タバコが普及した。そして1634年、モスクワで大火が起こった。公式調査の結果、出火原因は誰かのパイプから落ちたタバコの火だろうとされた。それ以来、タバコは禁止された。

 正教会の聖職者らも、喫煙は不信心な行為だと考えていた。煙は概して悪霊と結び付けられたからだ。喫煙はシベリア流刑で以て罰せられることさえあった。しかも鼻の穴を切開され、唇を切り落とされた上で。愛煙家のピョートル大帝の治世になってようやく、ロシア人は再びパイプから煙をくゆらせ始めた。

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