「鉄道におけるロシア皇帝の指」神話を解体する

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 モスクワ-サンクトペテルブルク間の鉄道ルートにおける奇妙なカーブができたのは実際のところ誰のせいなのか。

 伝えられるところによると、ロシア皇帝ニコライ一世は冷酷なコントロールフリークであったがために、鉄道路線の敷設でさえ彼の監督が不可欠とされていた。ロシア最初の大規模路線であるモスクワ-サンクトペテルブルク間の鉄道計画の際には、皇帝自身が定規を使って地図に線を引いた。 とある地点で皇帝の指に鉛筆が引っ掛かり、地図上に描かれた線にはカーブが生まれた。皇帝が怒ることを恐れた官僚たちはカーブをそのままにし、線路はニコライ1世が書いたままに敷かれることになった。

ニコライ1世はヴェレヴィヌスキー橋前、浅浮き彫り

 スターリンとシベリア鉄道、ピョートル大帝とモスクワ-サンクトペテルブルク間の道路工事についてさえ、同じような逸話が語られることがあるのだ!いずれにせよ、このような神話を解体する時が来たようだ。

大惨事への対処

ヴェレヴィヤ川に掛かっていた橋

 有名なカーブはノヴゴロド州のヴェレビエ村付近に位置している。最初、線路は完全に直線だったのだが、そのことで重大な問題が引き起こされた。

 まっすぐな線路を敷こうとすると、激しい高低差という問題に直面する。これはかなりの高低差なのである。ムスタ橋駅は海抜79メートルであるのに対し、次のトルビノ駅は海抜192メートルであり、21キロメートルにわたる険しい坂を上り下りするという問題が生じる。坂を下るとき頻繁にブレーキをかけるせいでブレーキパッドが破損し、サンクトペテルブルクへ向かう途中であるムスタ橋駅へ至る坂を下るときに減速ができなくなってしまう。反対のサンクトペテルブルクからモスクワへ行く鉄道の場合、坂を上りきるパワーがないために、車両の連結を解除し、車両をいくつかのグループに分けなければ坂を上がりきることができなかった。

ムスタ橋

 1852年2月、鉄道が操業を始めて三ヶ月経ったこのとき事故が起こった。坂が急であったため、もし車両が連結を解除しなければ、坂を滑り落ちる危険があった。一本の列車にあまりに多くの車両が連結されていたために、二回に分けて車両を坂の上に引き上げなければならなかった。機関車が二番目の車両を引き上げたとき、最初に引き上げた車両が駅から坂を滑り落ちてきて、機関車と残りの車両に激突してしまった。

 それでもムスタ橋が燃えた1869年まで坂を上がるこの問題について何も改善されることはなかった。その後検査が入り、この場所の線路はあまり危険であるため、再建設の必要があると判断されたのだった。

どのようにして「皇帝の指」は出現し、そして消えたのか

ヴェレヴィヤ川の迂回路、モスクワ・サンクトペテルブルク鉄道

 元あった線路より5キロメートル長くなった迂回路はこのようにして建設されることとなった。ヴェレヴィヤ川に掛かっていた橋は取り壊され、それに代わり線路のためのダムが作られ、川は水路を通ってダムへ流れるようになった。さらに二つの駅が追加された。この工事は1881年に完了した。このようにして「皇帝の指」の形に似たカーブは現れたのだった。しかしこれは問題の皇帝であるニコライ1世が亡くなって26年後のことなのである。

新しいヴェレヴィヤ川に掛かっていた橋

 現在、モスクワ-サンクトペテルブルク間の地図に「皇帝の指」を見つけることはできない。というのも2000年にロシア鉄道省がこの場所の線路を直線にすることを決定したからだ。新規の高速鉄道のために安全性と速度保持の観点から直線の線路が必要とされたのである。

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