ロシアの対テロ戦力アルファ部隊の有名な作戦3選

SpetsnazAlpha(CC BY-SA 3.0)
 連邦保安庁(FSB)のアルファ部隊は、数多くテロリストを抹殺し、何千人もの民間人の命を救った。世界で最も効果的な対テロ部隊の一つとしての同部隊の名声を揺るぎないものとした3つの最も過酷な作戦をご紹介しよう。

1. タジベク宮殿襲撃

襲撃後のタジベク宮殿 。1979年12月27日。

 アルファ部隊の最初期の作戦の一つであるこの作戦は、同時に同部隊の最も有名な作戦となった。1979年、ソビエト指導部はアフガンの指導者ハフィーズッラー・アミーンを排除し、より協力的な指導者に置き換えることを決めた。

 アルファ部隊の将校ら、GRUスペツナズの隊員ら、第9親衛空挺師団の兵士らは(総勢約700人)、ほとんど不可能に近い任務を与えられていた。アミーンが2000人近い護衛を連れて潜んでいるカーブルのタジベク宮殿に襲撃を仕掛けるというものだった。

 宮殿の守りは固かった。 敵の激しい銃撃の中、ソ連兵らは何台かの装甲兵員輸送車に分かれて宮殿に続く唯一の道を突破し、宮殿内に突入した。激しい銃撃の中、彼らは部屋を一つずつ、階を一つずつ洗っていった。

 将校らはわずか43分でアミーンの護衛の大半を殺害し、数百人を捕虜にした。

 嵐333号作戦として知られることになる同作戦で、20人のソビエト特殊部隊員と空挺兵が戦死した。アフガン側の人的損失は400人に上り、メイン・ターゲットのハフィーズッラー・アミーンも殺害された。

 「こうした作戦はソ連にとって初めてだった」とアルファ部隊の元隊員、アレクセイ・フィラトフは回想している。「攻撃する側は敵の三、四倍の数でなければならないという軍事セオリーに矛盾するものだった。すべてが逆だった。」

 2. ノルド・オスト占拠

人質を開放するための攻撃前のスペツナズ。

 2002年10月23日、40人のチェチェン人テロリストが、ノルド・オストのミュージカル公演が行われているモスクワ のコンサートホールを占拠した。結果として916人が人質に取られた。

 数日に及ぶ交渉が失敗に終わると、FSBのアルファ部隊とヴィンペル部隊が突入することが決まった。作戦は10月26日の早朝に始まった。

 スペツナズの将校らにとっての最大の問題は、コンサートホールの至るところに爆弾が仕掛けられており、攻撃の気配を少しでも見せれば、テロリストらが起爆スイッチを押して中にいる全員が死にかねないということだった。

 状況から判断して、当局は換気システムを通して神経ガスを送り込み、テロリストらの動きを封じることにした。アルファ部隊とヴィンペル部隊が素早く建物内に突入し、作戦をわずか数分で完了しなければならなかった。

 「消音器を装着した銃による正確な射撃により、ホールにいた全テロリストを殲滅した。一寸の狂いもなく発砲した。胴体を撃てば爆弾が起爆するかもしれなかった。我々が頭を狙ったのはそのためだ」と匿名のアルファ部隊元将校は述懐する

 ホール内の全テロリストを殺害するのにかかった時間は5分で、さらに10分で隣接する部屋に潜んでいた残党を片付けた。

 ノルド・オスト襲撃作戦はアルファ部隊とヴィンペル部隊の熟練将校にとっても厳しいものだった。何百人もの民間人がいる空間で、しかも人混みの中で爆弾を起爆されてしまう深刻なリスクもあった。だが、彼らの迅速かつ能率的、統制の取れた行動により、750人の人質の命が救われた。

 作戦の結果、女の自爆犯を含め、全テロリストが殺害された。不幸にも作戦中に民間人67人が死亡し、さらに63人が搬送先の病院で死亡した。大半の人質は神経ガスが原因で死亡したと考えられている。救急車は神経ガスを吸った人々に適切な応急処置を施す準備ができていなかった。

3. ベスラン学校占拠

 これはアルファ班史上最も英雄的かつ最も悲劇的な出来事の一つだ。2004年9月1日、32人のチェチェン人テロリストが、北オセチアのベスラン学校を占拠した。

 1128人(大半が生徒)が人質に取られ、堪え難い過酷な状況に置かれた。

 事件は占拠3日目に結末を迎えた。予期せぬ爆発が数度にわたって学校を揺らし、壁にできた穴から多くの人質が逃げようとした。アルファ部隊とヴィンペル部隊は直ちに人質を援護するよう命じられた。

  テロリストらは逃げる人質らに発砲し始め、将校らの中には文字通り自らの身体で人質を庇った者もいた。逃げ出した人質を救出した後、スペツナズ隊員らは取り残された人質を救うために建物へと突撃した。

 各教室、各廊下、各階で激しい銃撃戦が起きた。アルファ部隊とヴィンペル部隊の隊員らは、身を挺して逃げ遅れた児童や教師を守った。

 「スペツナズの戦闘員が切断した格子窓を通って中に這い込んできた」と人質の一人が振り返る。「それを見て、テロリストの一人が人混みに何かを投げ込んだ。それが何かすぐには理解できなかった。だが近くの窓からスペツナズの隊員が飛び込み、それを身体で受け止めた。次の瞬間爆発が起きた。私たちを救った兵士の名はアンドレイ・トゥルキンだ。」

 ベスラン学校占拠では、児童186人を含む314人が犠牲となった。テロリスト31人が殺害され、一人が生きたまま捕らえられた。

 アルファ部隊とヴィンペル部隊は10人の隊員を失った。これは一度の戦闘でロシアの特殊部隊が被った人的損害としては史上最大だった。

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