なぜソ連はアフガニスタンに派兵したのか?:「第二のベトナム」への道

1989年にアフガニスタンから帰っているソ連軍の部隊。ソ連軍では無事で故郷に戻れたことを幸福だと思っていなかった人もいた。

V.キセリョフ撮影/Sputnik
 ソ連は、共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党による政権から直接の要請を受けて、派兵に踏み切った。この行動は、結局、ソ連の指導者レオニード・ブレジネフが「第二のベトナム」の泥沼にはまり込んだことで、アメリカの歓迎するところとなった。

 アフガニスタンの指導者であったハフィーズッラー・アミーン大統領がどんな状況で死亡したかは、正確には誰も知らない。共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党の同大統領は、アメリカと接触するなど、ソ連の意向に反する行動を見せ始めていた。

 アミーンは自殺したと主張する者もいれば、アフガニスタン将校に殺害されたと言う者もいる。ただ一つ確かなことは、19791227日夜に、ソビエト特殊部隊が、アミーンの警備を固めたタジベク宮殿を襲撃したときにそれが起きたことだ。

 これが、アフガニスタンの内部対立、内戦にソ連が介入する最初の大きな兆候だった。19791225日~27日に、ソ連軍部隊は首都カブールを制圧し、その後10年間続くことになる軍事作戦に踏み込んでいく。

 通常忘れられているのは、それが侵略ではなかったという事実だ。アミーンはブレジネフに派兵を19回にわたり要請していたから。要請の理由は複雑だった。

望まれざる勝利

親ソ派のアフガニスタン人民民主党(PDPA)が権力を掌握した1978年の4月革命の翌日。

 逆説的に聞こえるだろうが、親ソ派のアフガニスタン人民民主党(PDPA)がクーデターで権力を掌握したとき(1978年の4月革命)、ソ連の指導部はあまり喜ばなかった。

 「それ以前は、ソ連外交は、アフガニスタンを中立に保つことを目的としていた」。歴史家ニキータ・メンドコヴィチはこう説明する。

 当時、東西冷戦は最高潮に達していた。中立的なアフガニスタンは、ソ連の中央アジアの諸共和国と、敵対する国々、すなわちパキスタン、イラン、そして中国との間で、好都合な緩衝地帯になるように見えた。

 ところがPDRAが権力を握ると、これらすべての国と西側は、共産主義が南下し、中東とその豊富な原油を脅かすものと認識した(アフガニスタンは、中東の石油の輸送路として格好の位置にある――編集部注)。

 そこで、これらの国は、そうした認識に応じて行動した。すなわち、武装イスラム勢力を含む反政府勢力を支持したのである。

アフガニスタン社会主義政権の失策

勝利を祝うアフガニスタンの社会主義者。

 PDRAの最初の政権首班、ヌール・ムハンマド・タラキー革命評議会議長兼首相は、国民とうまく折り合うことができなかった。

 断固たる左翼のタラキーは、農民間で土地を分割し(富裕な農家を怒らせた)、シャリア法を廃止し、女子を学校に送り込んだ(保守的なイスラム教徒を激怒させた)。こういう形で社会、経済の改革を始めたのである。

 「1年後に我々の国を訪ねてほしい。モスクは空っぽになっているだろう」。タラキーは19787月に、ソ連の秘密警察「KGB」のウラジーミル・クリュチコフ議長ににこう自慢した。

 タラキーは、貧しい村落が点在するアフガニスタンが、数年以内に、無料の教育と医学、全国民の識字能力獲得、それに重工業の発展の点で、ソ連が苦労して達成した成果に匹敵するようになるだろうと胸を張った。ところが翌年になっても、モスクはまだ人が溢れており、国は内戦で四分五裂し、タラキーは既に死んでいた。

レオニード・ブレジネフとアフガニスタン人民民主党書記長ヌール・ムハンマド・タラキー。

 タラキーに反抗し倒したのは野党ではなく、彼の右腕だったハフィーズッラー・アミーン国防相だった。アミーンは、1979916日にタラキーを失脚させる。後にアミーンの部下は、枕でタラキーを窒息死させた。

 こうして党(PDRAを掌握したアミーンは、イスラム勢力(ムジャヒディーンとして西側で知られた)との戦いを続け、ソ連との良好な関係を維持した(あるいは、彼はそう思っていた)。

介入すべきか、せざるべきか

ソ連の兵士がアフガニスタンの落下傘兵に軍用装置を見せている。

 アフガニスタン介入のほんの数ヶ月前には、ソ連共産党政治局は、断固として介入を否定していた。

「アフガニスタンの革命が失敗しないように保証できる唯一の方法は、派兵することだが、しかし、絶対にそれはできない。 リスクが高すぎる」。ユーリー・アンドロポフKGB議長(未来のソ連指導者)は、19793月にこう述べている。タラキーも、彼からクーデターで権力を奪ったアミーンも、合わせて19回も派兵を要請したのだが、その最初の要請に際してのことだ。

 アンドロポフの意見は満場一致で支持されたが、タラキーとアミーンはこう主張していた。ソ連の支援なしには、アフガニスタンはイスラム勢力に奪われるだろう。そのイデオロギーは国民の多数に人気がある。そしてこれらの反政府勢力は、米国、中国、そしてイランおよびパキスタン(両国は戦闘員も提供した)など、外国の財政支援も受けている、と。

 ソ連は、アフガニスタンの政府(PDRA)に軍事援助を与えることに決めた。ただし、派兵ではなく、軍事物資の供与と軍事顧問団の派遣によってだが。ソ連は、19793月から12月までの間、そうした援助を行っていた。

アフガニスタンを失うよりは…

 ソ連共産党政治局は、なぜ心変わりしたのだろうか?地政学上の変化のせいだ。ブレジネフその他のソ連指導部は、アフガニスタンを失うことを恐れていた。1979年末までに、アフガニスタンの反政府連合がアフガニスタンの26の州のうち18を制圧し、政府軍は崩壊の危機に瀕していた。国はすぐにもイスラム勢力の支配下に入る恐れがあった。アフガニスタンはこのまま失うにはあまりに重要な地域だった…。

1979-1989にソ連との親ソ的な政府に対抗したイスラム勢力、ムジャヒディーンたち。

 ブレジネフは、アフガニスタンがイスラム勢力や西側シンパに席巻されれば、ソ連の中央アジア諸国にとって脅威になるだろうと考えた。それというのも、アフガニスタンとソ連の国境地帯には、タジク人とウズベク人が住んでおり、彼らは容易にムジャヒディーンに加わるであろうから。

 「イスラムの遺風が濃厚に残る中央アジアでは、ソ連の影響力が小さいと考えられ、ゆえに外国からの影響は大きな脅威と見なされていた」。歴史家のメンドコヴィチはこう記している 

 もしアフガニスタンの親ソ政府がイスラム勢力との戦いに敗れれば、この国には中国やアメリカの軍事基地が出現する危険もあり、様々な戦略的脅威をもたらしかねなかった。

 そのようなリスクには、とても対応する用意がなかったため、ソ連共産党政治局は、軍事行動のほうが座して敗北するよりはマシであると考えた。ソ連指導部はまた、アミーンを排除することを決定した。アミーンはプレッシャーを受ければ容易に米国になびくであろう、と疑われたからだ。

陥穽

ウズベク・ソビエト社会主義共和国、ソ連。アフガニスタンから帰ってきたソ連の兵士を迎え、泣いている女性。

 アフガニスタンでのソ連軍の駐留は19892月まで続き、公式筋によると、1万5人のソ連国民(そして少なくとも64万人のアフガニスタン人)の犠牲を払い、しかも目的を達成することはできなかった。

 アフガニスタンの親ソ政府は、ソ連軍撤退から数カ月を経ずして倒れた。ソ連の介入は、国際的なPR合戦の上でも惨憺たる結果を招き、米ソ間の微妙なデタント(緊張緩和)を損なった。結局、二つの超大国間の関係を悪化させるのに役立っただけだ。

 ソ連のアフガニスタン介入は、ソ連の崩壊をも早めた。「アフガニスタンでの戦争は、ソ連の経済を悪化させ、その社会的まとまりに亀裂をもたらした。増え続ける犠牲者は、国内の不満を助長した」。政治学者アレクセイ・ボガトゥロフは、その著書『国際関係史19452008』に書いている 

ズビグネフ・ブレジンスキー(1980年撮影)はソ連の派兵を引き起した人たちの一人だった。2000年代までこれは米国にとって重要な勝利だと思われていた。

 米国にとっては、ソ連をアフガニスタン介入に誘い込んだことは見事な「一手」となった。「我々はロシア人に介入を強要したわけではないが、彼らがそうする可能性を故意に高めた」。

 米国のカーター政権時の国家安全保障問題担当大統領補佐官(1977年~1981年)を務めたズビグネフ・ブレジンスキーは、フランスの雑誌「Le Nouvel Observateur」のインタビューで、こう述べた 

 「ソ連軍が正式に国境を越えた日、私はカーター大統領に次のように書いた。『我々は今、ソ連を“ベトナム戦争”にはまり込ませるチャンスがある』。実際、ほぼ10年間にわたり、ソ連は到底持続不可能な戦争を続けなければならなかった。それは、士気喪失をもたらし、ついにはソビエト帝国の崩壊をもたらした」。ブレジンスキーは語っている。

 インタビューは1998年に行われている。その後さらに3年間、アフガニスタンは米国にとって大勝利の舞台のように見え続けた。

 だが2001911日、米国は、イスラム勢力による重大な危機に直面することになる。この勢力は、アフガニスタンに拠点を置き、外国から支援されていた。しかし、それはまた別の話だ。

 

 

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