ナチスから解放された直後のセヴァストポリの知られざる写真

歴史
エカテリーナ・シネリシチコワ
 ロシア連邦国防省が、解放直後に撮影されたセヴァストポリの写真を初めて公開した。

 クリミア半島の南西部にあるセヴァストポリ市は、戦争初期に占領された。事実上ここから大祖国戦争(独ソ戦)が始まった。黒海沿岸のこの街は、黒海艦隊の重要な基地があったため、1941年にドイツ空軍の空襲に晒されたのである。

 「クリミアはすべてのよそ者から解放されるべきであり、ドイツ人が入植しなければならない」――1941年7月19日にアドルフ・ヒトラーはこう宣言した。セヴァストポリは250日間抵抗した末にナチス親衛隊の手に落ちた。全住民が再登録され、懲罰隊が街を闊歩し、間もなく戦争捕虜を入れる収容所が市内に20軒以上建てられた。占領は1944年5月9日まで続いた。

 それから75年、国防省が占領の解除の様子を示す公文書と写真を公開した。

 写真の裏面には、解放されたセヴァストポリの廃墟に最初に足を踏み入れた兵士の一人による署名があった。 

1.「生神女庇護教会。ドイツ軍が破壊」

2.「占領軍に破壊されたレーニン通の住宅」

3.「黒海艦隊参謀部の建物、ドイツ軍が破壊」

4.「カール・マルクス通の住宅」

5.「海事図書館の建物」

6.「レーニン通の住居」

7.「爆破され焼かれたルナチャルスキー劇場」

8.「中等技術学校」

9.「カール・マルクス通のコンビナート」

10.「首を落とされたE.I. トートレーベン[ロシア人将軍]像」