独ソ戦争時のクリミアの戦い

写真提供:アレクサンドル・リスキン/ロシア通信

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クリミアの独ソ戦争は、他のソ連各地と同様、1941年6月22日の夜明けに開戦し、70年前の1944年5月8日に終戦を迎えた。

 クリミア半島はソ連にとって、海軍の重要な基地であり、ルーマニアのナチスドイツの石油備蓄を攻撃するための空港であり、1941年の赤軍敗北後は主要な攻撃をもくろむ敵軍を撤退させる唯一の要塞であった。

 クリミア半島の占拠はナチスドイツにとって、カフカスへの道をひらき、沿黒海北部の通信をコントロールする可能性であったし、1943年には西に進行する赤軍をけん制し、注意を自分たちにそらせる場所となるはずであった。

 半島は3年の恐ろしい時期を経て、人口が半分に減少した。

 

セヴァストポリの防衛

 独ソ戦争開戦まで、セヴァストポリは世界でもっとも強固な防衛が整備された場所の一つだった。

 市の防衛地区には数十ヶ所の砲台、地雷原、2ヶ所の装甲砲台「BB30」と「BB50」(ナチスドイツがマクシム・ゴーリキーと呼んだ)、第365高射砲台(ナチスドイツがスターリン要塞と呼んだ)、岩石地を掘ってつくられた通路と武器庫の地下網があった。

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劇的なクリミア史

 ナチスドイツは1941年秋にセヴァストポリを占拠することができず、ソ連軍が1942年1月にケルチ半島の一部を解放すると、ナチスドイツはセヴァストポリから撤収した。

 だがソ連軍はケルチ半島の増強に失敗し、ソ連軍は撤退の際に大きな損失を受け、援護にまわった部隊(約1万人)は水際で寸断され、地元住民の一部とアジムシュカイ石切り場で防衛を行わなければならなくなった。

 石切り場はクリミアの最後の防衛線となった。ナチスドイツは4ヶ月後にようやくここを占拠したが、170日間続いた包囲が終わるころには、1万3000人のうち、わずか48人しか生き残っていなかった。

1942年7月、ドイツ軍によってセヴァストポリは陥落した。1941年10月から1942年7月までのセヴァストポリの防衛の際、15万6000人の赤軍兵士が死亡した。

 

パルチザン

 ナチスドイツによるクリミア侵攻の前に、パルチザン戦のためのインフラが築かれていた。事前に武器や食糧の貯蔵庫や、未来の部隊の指導部が創設された。

 クリミア占領の期間、2500人ほどからなる、200以上の地下組織や集団が活動した。パルチザンは鉄道で破壊を組織し、敵軍の襲撃を行った。

 地元の住民を体系的に根絶させるという占領者の“新たな制度”によって、パルチザンの人気は増した。

 1941年末から1942年始めだけでも、ナチスドイツの懲罰隊はフェオドシヤで1万2000人、ケルチ近郊で7000人を銃殺した。

 数千人の市民が強制収容所に送られたが、ソフホーズの領域に設置された「クラスヌイ」という絶滅収容所が最大だった。

 地元の住民やパルチザンと戦った懲罰隊には、クリミア・タタールの民族主義者も積極的に関与した。

クリミアの住民6万人以上が赤軍で戦い、パルチザン活動に関与したタタールは1万7000人ほどいた。この戦争でもっとも有名になったクリミア・タタールの名手の一人が、スルタン・アメトハンで、敵の飛行機を30機撃墜している。

写真提供:エランチュック/ロシア通信

解放

 反攻に転じたソ連軍がクリミアに進出したのは1943年秋で、北部と東部の進攻基地を占拠することができた。

 ソ連軍は1944年冬、戦闘を続けたものの、すぐに半島を奪還できなかった。

 クリミアではナチスドイツが、19万5000人の兵士と将校からなる強力な縦深防御を行っていた。ソ連軍には約47万人がいた。

 ソ連軍の部隊は1944年4月8日に半島北部の攻撃に移り、3日後に東部にも展開し、4月18日にはセヴァストポリを除いたクリミア全土をナチスドイツから解放した。

 5月7日にはナチスドイツが要塞地にしていたセヴァストポリ郊外で、全面的強襲を開始。決定的な攻撃は、ナチスドイツが2年前に攻撃を行ったサプン山とゴルナヤ丘の地域で行われた。

 航空・攻撃準備射撃が強化された後、襲撃グループが攻撃を開始し、サプン山を夜までに取り返し、敵を翌日にはメケンジエヴィ山から撤退させた。

 対ナチスドイツ勝利の1年前の5月9日朝8時、セヴァストポリで全面的強襲を開始。突撃が強力だったため、敵軍の兵士は日用品を船や浮き輪代わりにして湾を経由して逃げた。ドイツの経理将校が貯えていた棺まで使って。5月9日夜、セヴァストポリは完全に解放された。

 残りの軍はヘルソネス岬から海に落ち、そのままのみ込まれた。

 当時を知る住民によると、海は敵軍兵士の遺体、馬、自動車、兵器ばかりで、岸から100メートルの水域でも水が見えなかったという。このようにしてクリミアの戦いは終わった。