「おばあちゃんスパイ」がいかにして英国の核機密をソビエトに提供したか

87歳のメリタ・ノーウッドが南東ロンドンにあった彼女の家の外で声明書を呼んでいる。彼女がソビエトのスパイであったことが暴露された後。

87歳のメリタ・ノーウッドが南東ロンドンにあった彼女の家の外で声明書を呼んでいる。彼女がソビエトのスパイであったことが暴露された後。

Reuters
 ロンドン南東部のベクスリーヒースの住人は、まさか近所に暮らす感じの良いチャーミングな老女、メリタ・ノーウッド夫人が英国における最重要のソビエト諜報員の一人だったとは夢にも思わなかっただろう。

 メリタ・ノーウッドのおかげで、スターリンは英国の核爆弾開発について英国内閣の閣僚以上によく知っていた。

 35年近く、ノーウッド夫人は英国の核兵器開発計画に関する何百もの極秘文書を撮影し、ソ連に送っていた。

献身的な共産主義者

  社会主義志向の両親の影響で、メリタ・サーニス(結婚後はノーウッド)は幼少時から熱心な共産主義者だった。彼女は1930年代に密かに英国共産党に入党した。

 同時に、彼女は英国の核技術開発を担っていた英国非鉄金属研究協会で秘書として勤めていた。

 英国政府はこの共産主義者を見逃したが、ソ連はこれを大きなチャンスと見た。1937年、メリタはソビエトの諜報員に採用され、「世界革命の因子」として働き始めた。

 「私がやったことはお金のためではなく、大きな犠牲を払って一般の人々に与えられるだけの食料と賃金を与え、良質な教育と医療サービスを提供してきた新しい政治体制が敗北するのを防ぐためだった」とメリタは後年回想している

英国核計画の心臓部で

英国非鉄金属研究協会

 ノーウッドは、「チューブ・アロイズ」というコードネームの英国核兵器開発計画の詳細な情報に直接アクセスすることができた。彼女の上司、G・L・ベイリーは、この計画の諮問委員だった。全幅の信頼を寄せられていたメリタは、ベイリーの2つの金庫を開けることができた。

 一つは職場のもの、もう一つはロンドンの自宅のものだった。 最高機密の往復書簡、科学調査・分析の報告書などがノーウッドによって撮影され、ソビエト政府の手に渡った。この情報は、ソ連が自国の核技術を発展させるのに大いに役立った。

 「エージェント・ホラ」として知られたメリタ・ノーウッドは、ソ連において有名なキム・フィルビー以上の賞賛を受けた。彼女は「全力を尽くしてソビエト諜報機関に役立つことを何でもする規律正しい献身的なエージェント」と評された。

引退と露見

 1945年と1965年に、防諜機関MI5(英国保安局)がノーウッドの素性について嫌疑をかけたが、2度とも十分な確証を得られなかった。1972年に彼女は定年退職で非鉄金属研究協会を去り、ソビエト諜報員としての役目を終えた。

 すべてが露見したのはそれから20年後のことだった。元KGB職員のワシリー・ミトロヒンが英国に亡命し、ソビエト諜報員に関する膨大な情報を暴露したのだ。その中にはメリタ・ノーウッドの資料も含まれていた。

 しかし老齢であったために、「エージェント・ホラ」は逮捕も取り調べもされなかった。英国政府は、「おばあちゃんスパイ」を刑務所に送ったところで何にもならないと判断し、ノーウッド夫人はベクスリーヒースの自宅で自由を享受した。

 2005年に亡くなるまで、メリタ・ノーウッドは自分のしたことを決して後悔しなかった。ソ連のために働くことは、彼女の人生の原則だった。彼女はソ連政府から提案された秘密の生涯年金さえも断ったが、名誉ある赤旗勲章は喜んで受け取った。

 「私はお金が欲しかったのではない。私の関心があったのはそこではない。私はロシアが西側と対等な足場に立つことを望んでいたのだ」と生前にノーウッド夫人は語っている

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