スターリンはなぜロシアの主要なデパートを潰そうとしたのか?

歴史
ボリス・エゴロフ
 いつの時代においても、グムと時の指導者との関係はとても複雑であった。3度も破壊されることが決定されたにもかかわらず、この巨大な建物は今なお存在しており、モスクワのランドマーク的なショッピングスポットであり続けている。

 ロシア最古の商店の一つであり、125年前にクレムリンのすぐ横に開店した時は、Upper Trading Rows(上級多層商店街)と言われていた。グム(国営百貨店の略)と改名されたのはソ連時代になってからのことであった。

 この新しい店は、ロシア国内の商売に革命を起こした。まず、初めて値札がつけられたのがここである。これによって、物々交換は論外となり、商人が客をだまして3倍の値段を吹っ掛けることなどできなくなった。

 客が不満があったときに訴えることができる仕組みを最初に作ったのもグムであった。これによって、客は買い物についてのどんな苦情も伝えることができるようになった。

 1935年と1947年の2回、スターリンはグムを破壊するように命じた。赤の広場を拡張しようとしたのである。しかしこれが実行に移されることはなかった。

 ブレジネフの時代にもこの店の将来は暗かった。多くの者がクレムリンや聖ワシリー寺院のような歴史的建造物のすぐそばに商店があるのはおかしいと思ったのだ。そして、つぶすように呼び掛けた。しかし、ある高官の夫人がグムにドレスを注文していて、夫に店をつぶさないでとお願いしていたからであった。彼女が夫を尻に敷いていたのは間違いない。

 グムは噴水でも有名である。ここは待ち合わせ場所に使われている。モスクワの他の噴水と違って、ここはけして止まることがない。

 グム内部はちょっと変わった博物館である。とても有名な「歴史的なトイレ」は、ロシア帝政時代のトイレの忠実な複製なのである。有料ではあるが、もよおしたらぜひ使ってみてほしい。

 グムは商店だけではなく、ファッションハウスでもある。1960年代以降はきらびやかなファッションショーが開かれている。

 1992年にグムは民営化されたが、名前にはまだ「国営」とついている。

 グムは今日に至るまで2つの伝統を守っている。1つは、ソ連スタイルのコーン入りのアイスクリームを売っていること。もう1つは冬になると、赤の広場に特設アイススケート場を設けることである。