ソビエトの独学の技師ウラジーミル・ゲラシメンコは、1973年に国内で初めて、火薬を入れる薬莢を使用せず鋼鉄製の弾を発射する拳銃を開発した。残念ながら諸事情でこの発明品は伝説的なマカロフ拳銃に代わって治安機関で用いられることはなかったが、ソ連の武器開発の発展に大きく貢献した。
薬莢のない弾薬
外見はぱっとしないこの拳銃は、ソ連の巨大な軍産複合体において初めて「小さな」人間が主導して開発されたものだ。それまで、兵器の開発や製造に関する注文はすべて「上から」来ていた。これは専門教育を受けていない一人の人間が、自分の風変わりな発明品を上層部に売り込んだ初めての出来事だった。
新兵器の主な特徴はその弾薬だった。火薬を詰める薬莢がなかったのだ。その代わり、開発者は弾丸の重さをほぼ半分にし、銃の発射速度を倍にすることを決めた。
ゲラシメンコは、薬莢の代わりに鋼鉄製の弾の基部にある小さな窪みに爆発物を詰めることにした。窪みは底に雷管のある銅製の蓋で閉じられていた。こうして、新弾薬の作動原理はいくぶん砲弾に似たものとなった。
「この決定によって、これはソビエト史上初めて連射ができる拳銃の一つとなった。内部の遊底の空気圧減速器が発砲時の反動を補助的に減じ、射撃の命中精度を高めていた」とイズベスチヤ紙の元軍事評論家ドミトリー・サフォノフ氏はロシア・ビヨンドに話す。
この拳銃は当時としては大きな2列式の大きな24発入りマガジンを装備していた。1列目の弾薬が尽きると、2列目の弾薬が供給される仕組みだった。
大きなピストル、大きな失望
参考までに、マカロフ拳銃にはマガジンに計8発の弾薬しか入らない。
ただし、VAG-73はマカロフより1.5倍大きく重くなってしまった。新拳銃は重さ1.2キログラムで、長さは23センチメートル、高さは13センチメートルに達した。要するに、よく訓練された射撃手でも、正確さや効率性を欠いてしまうということだ。
無薬莢弾薬は量産前の段階で生産コストが通常弾薬の数倍かかった。VAG-73拳銃の製造自体、「ロシアの試練」に耐えられなかった。この兵器は非常に扱いにくく、慎重に取り扱う必要があった。汚れるのが早く、分解・クリーニング作業に時間がかかり、クリーニングには追加の道具も必要だった。
軍部並びに設計者自身が最も落胆したのが、この拳銃が極めて脆弱だったことだ。マカロフ拳銃に比べてすぐに故障してしまうのだった。