サンクトペテルブルクの壊滅的な大洪水を記録した画像10枚

歴史
ロシア・ビヨンド
 ネヴァ川がフィンランド湾に注ぎ込む沼地の多い地域は都市を建設するのに理想的な土地ではない。しかしピョートル大帝はこのことに注意を向けなかった。それにより地元の人々は恐ろしい洪水に苦しめられてきた。

1.サンクトペテルブルク市民は創建者であるピョートル大帝のことをたびたび悪く言う。風の日、雨の日、酷寒の日、そして洪水の日にピョートル大帝の名前が出るときには、特に悪意が込められる。

2.今年9月、美しい北の都は通算310回目となる洪水に見舞われた。地上のすべての交通機関が停止、数十もの自動車事故が発生、多くの木が倒れた。水位は1.79メートルにまで上昇した。

3.こちらは90年以上前の1924年の洪水の様子。水位は3.69メートルに達した。

4.サンクトペテルブルク史上2番目に大きな洪水(当時はレニングラードと呼ばれていた)。

5.氾濫した水が敷石を損壊し、ボートで移動せざるを得ない地域も。博物館、美術館の作品はもちろん、人々は浸水を免れるため、さまざまなものを必死に運び出した。

6.掠奪を防ぐため、市政府は軍隊を投入した。

7.サンクトペテルブルクは1703年、都市建設にはあまり適していない土地の上に建設された。ピョートル大帝はアムステルダムの運河の美しさに感銘を受け、古いモスクワと対比させたヨーロッパスタイルの新しい首都を建設したいと考えた。

8.恒常的な悪天候、運河、空、通りの暗い色合いにより、歴史的に街の住民たちは鬱に悩まされ、暗い気分でいることが多い。ドストエフスキーの小説に登場する「虐げられた人物像」はこの陰鬱な街で生まれたのである。

9. 1824年に発生したサンクトペテルブルク史上最大の洪水。水位は4.10メートルまで上昇した。多くの死者を出したこの大洪水についてはアレクサンドル・プーシキンの詩「青銅の騎士」の中で描かれている。

10.洪水により橋が損壊、墓地にも水が流入し、いくつもの棺が通りに流された。