1. 1930年代には、スターリンのモニュメントは、ソ連のあらゆる市町村の不可欠な部分をなしていた。数千の像がソ連全土に建てられた。場所は、駅、公園、中央広場などだ。
しかし、1956年のソ連共産党第20回大会で、スターリン崇拝が糾弾され、「非スターリン化」が始まった。その後、スターリンの記念碑は廃棄された。わずか数年の間に、ほとんどすべてが破壊され、忘れ去られた。
2. これらの記念碑では、スターリンはしばしばレーニンと並んでいた。「ゴールキのレーニンとスターリン」という記念碑の定番があった。2人の共産主義指導者が、ベンチに座り話し合っているさまを描いたもので、そのコピーが多数つくられた。スターリンはとくにこの記念碑がお気に入りだった。
3. 非スターリン化が始まると、「ゴールキのレーニンとスターリン」からスターリン像は取り去られた。
ところが、その結果は奇妙に見えた。レーニンは、滑稽な姿勢で一人で座り、虚空に向かって話している。そこでレーニン像も取り除くことにした。
4. 最も普及して大量にコピーされたスターリン像は、モスクワ運河にあった。それは、全国に建立された多数のスターリン像のモデルとなった。
5. モスクワの「国民経済達成博覧会」(VDNKh)にあったスターリン像は、しばしばソ連映画に登場していた。非スターリン化の後、スターリン像の写っている箇所は、いくつかの映画からカットされた。
6. 大祖国戦争(独ソ戦、1941~1945年)の間、ナチス・ドイツが占領した地域にあったスターリン像は、ほとんどがドイツ軍によって破壊された。しかし戦争が終わると、修復された。
7. スターリン崇拝は、第二次世界大戦直後にピークに達した。「諸民族の父」たるスターリンの記念碑の大部分は、この時期に建立されている。
8. スターリンは、レーニンのほか、ソ連作家マクシム・ゴーリキーやクリメント・ヴォロシーロフ元帥とセットで記念碑に描かれた。
9. 最大のスターリン像(高さ24メートル)は、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)のヴォルガ・ドン運河の入り口にあった。1962年に解体され、レーニンの高さ27メートルの巨像に取り替えられた。これはいまだに世界最大の彫像の一つだ。
10. ソ連以外では、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキア、中国、アメリカに、スターリンの巨像が(小さな彫刻もだが)建てられた。
11. ソ連以外では、最大のスターリン像はプラハにあった。高さ15.5メートル、幅は22メートルで、当時は欧州最大の群像だった。しかしこのモニュメントは、1962年に爆破されるまで、わずか7年間存在したにすぎない。
12. 今日では、ロシアにはスターリンの巨大モニュメントは残っていない。それでも、古い小さな彫像や胸像が地元の愛好家によって発見され、修復されている。それらは主に博物館や個人コレクションにある。
*ここに、スターリンの比較的珍しい写真が10枚ある。まだご覧になったことがないかもしれない。