ラストエンペラーのパーティー:ニコライ2世の豪華絢爛なイベントの数々 

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 2018年5月18日はちょうど、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の生誕150年に当たる。彼の宮廷ほど豪華絢爛な行事、セレモニーしばしばを行ったところはまずないだろう。ツァーリがどんなゴージャスな祝賀会、イベントを挙行したのか振り返ってみよう。

1. ツァーリ風に祝う

 ニコライ2世がとその家族が自分たちのイベントを忘れ難いものにしたのは確かだ。ツァーリと妻の戴冠式は、ロシアのあらゆる戴冠式のなかでも最も高額なものとなった。式に動員された軍人は85千人以上で、大部隊の規模だった。しかも、いくつもの司令部が置かれていた。

 モスクワのクレムリンには、戴冠式のセレモニーをコーディネートするために、特別な電話局が設置された。首都サンクトペテルブルグからは、24トン以上の銀と金の食器が持ち込まれた。戴冠式前の夕には、皇后アレクサンドラは、1200人からなる聖歌隊に聖歌で祝われた。なおこれは、撮影されたロシア皇帝の唯一の戴冠式となった。

 しかし、1913年にはもっと豪華な行事があった。ロマノフ王朝300周年だ。これは、国家理念の観点からも重要な大イベントとして組織され、膨大な金額が費やされた。勅令ですべての民間債務(税金、手数料など)が免除される一方、金銀銅の記念メダルが150万枚以上も造られた。またロシア史上初めて、ツァーリとその家族の肖像が、郵便切手、お土産のマグカップ、ハンカチなどに描かれた。

2. ツァーリ風に食す

 皇帝の厨房では55人が働いていた。ツァーリには、「シンプル」、「ホリデー」、「パレード」の3つの「レベル」の料理があり、「シンプル」な料理でも、「朝食は4種類、ディナーは5種類、ディナーは4種類のなかから選べた」

 皇帝の食卓もまた極めて高額だった(もっとも時とともに費用は下がっていったが)。1901年には年額71631ルーブル、1903年は67112ルーブル、1904年は47711ルーブルだった(ちなみに、陸軍大佐の年俸は約4000ルーブル、馬1頭の値段は約100ルーブル、良いピアノが約200 ルーブルだった時代の話だ)。

 また、皇帝一家の食事そのものも実際、この上なく豪勢だった。食材はヨーロッパから注文されたし、残った食事は、皇室の厨房から払い下げられ、サンクトペテルブルクのレストランでご馳走として供された。

3. ツァーリ風に飲む

 ニコライ2世は絶対禁酒者ではなかった。彼の好きな飲み物は、ポートワインとプラムブランデー(すももを原料とする)だった。彼の日記にはこんな記述がある。「兵士用の食堂を訪れ、かなりウォッカを飲んだ後で、やっとのことで将校の集会にたどりついた」(19048月)。軍事演習では、「ニコラーシャ(ツァーリの従叔父に当たるニコライ・ニコラエヴィチ大公)は、自分のテントで素晴らしい夕食をふるまってくれた。私は6種類のポートワイン試飲し、少しジュースを飲んだので、よく眠れた」

 1916年、すなわち第一次世界大戦のさなかで革命の前年という、最も厳しい時期でさえも、ツァーリは飲酒の習慣をやめなかった。歴史家イーゴリ・ジミンの調査によれば、19165月と6月にツァーリとその家族は、さまざまなワインを1107本飲んでいる。さらに391本のマデイラ(これもツァーリのお気に入りだった)、シェリー174本、ポートワイン19本(ほとんど皇帝専用だった)、シャンパン14本(お祝いのときに飲んだ)、コニャック3本、そしていろんなウォッカ158本を飲んだ。

4. ツァーリ風の生活費

 ニコライ2世は誕生以来、生活費として国庫から年額10万ルーブルを支出されていた。皇帝に即位すると額は倍増。その20万ルーブルは直接銀行口座に振り込まれた。さらに日常的な支出のために彼は、毎年2万ルーブルを受け取っていた。

 しかし、彼はいつもこの額を超えており、時には年15万ルーブルに達したこともあった(ちなみに、陸軍大将や大臣の俸給は年間60007000ルーブル、工場労働者は最高で500ルーブルにすぎなかった)。

 ツァーリの主な支出は慈善(主に教会、聖堂の建立)と、ヨーロッパ各国の宮廷を訪問するのに必要な衣装だった(とくに治世の初めには必要となった)。皇后アレクサンドラは、年4万ルーブルを衣装に費やしたが、高価なジュエリーを身につけることも好んだ。例えば1914年には、25千ルーブル相当の宝飾品を買い込んだ。

 ツァーリと家族を撮影するのにも多くの金が費やされた。今ではワンクリックするだけのことだが、当時は金のかかる娯楽だった。

5. ツァーリ風の狩猟

 狩猟は、イワン雷帝の時代からロシアのツァーリたちの好きな娯楽で、ニコライ2世も情熱的な狩猟家だった。宮内省に設けられた特別な部門が、すべての狩猟のシーズンを監督した。この部門には、職員が70人以上もおり、そのなかには画家もいて、彼らは、テーブル上に並べられた狩猟の獲物を見事な水彩画で描いた。

 統計によれば、18841909年には、ニコライと弟たちは、狩猟で68万匹以上の動物や鳥を殺した。1回の狩りで、ニコライは自分で1400羽のキジを殺したこともある。こうした狩猟は数週間続けられ、費用はもちろん高くついた。年額にすると3万ルーブル超で、100人の小学校教師の年俸に相当した。

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