今日においては、カトリック教徒(とプロテスタント教徒)と、正教とは、異なる日にクリスマスを祝っている。カトリック、プロテスタントはグレゴリウス暦にしたがって12月25日にクリスマスを祝うのに対して、正教はユリウス暦にしたがって1月7日にクリスマスを祝っている。1918年にソビエト政府によってグレゴリウス暦が採用されたが、正教会は今日にいたるまでユリウス暦にしたがっている。
ロシアでは、クリスマス・ツリーが一般的ではない。実を言うと、常緑樹というのは、「死んだ木」ということになっていて、誰も常緑樹を家のなかに持ち込もうとは思わないのだ。
クリスマスを祝う装飾として常緑樹がロシアで一般的となったのは、19世紀終わりになってからだった。この伝統は、サンクト・ペテルブルグのドイツ人社会で始まり、急速にロシア帝国全土に広まったものだ。
クリスマス・イヴの深夜に行われる古代の儀式であるコリャーダは、ロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人のあいだで非常に盛んに祝われていた。これは、ほかのスラヴ諸国でも同様である。人々は着飾り、家から家を門付(かどづけ)して歩き、お互いの好運、幸福、悪魔祓いを願って歌を歌った。アメリカ人、ヨーロッパ人は同じような祝いを、1月6日の主顕節に行っている。
クリスマス・イヴは未来を予言する時である。というのも、クリスマス・イヴの夜、闇の諸力が最も強くなると人々が信じていたからである。若い娘たちは熱心に、たとえ悪魔の助けを借りてもいいから、自分の未来の夫が誰なのかを知らせる何ものかを探し回った。
ソビエト時代に、冬の主な祭りが新年の祝いにシフトした結果、クリスマスは完全にすたれた。実際、クリスマスは1929年に公式に禁止され、この日はふつうの労働日となった。
このような事情で、西欧世界でのそのいとこ筋にあたるサンタクロースがクリスマス・イヴにプレゼントをもって子供たちを訪れるのに対し、ジェド・マローズ(霜おじいさん)は新年の1月1日に陽気な訪問を行うのである。
小人や小妖精はロシアの神話ではまったく知られていないが、そのかわりに、霜おじいさんは孫娘であり援護者であるスネグロチカ(雪娘)をともなって現れる。
今日では、大部分のロシア人がソビエトの伝統にしたがい、新年の祝いを最も尊重している。